なぜ柏木陽介はJ3岐阜の新天地デビューで勝利に貢献できなかったのか
自戒の思いを込めて柏木が言及したプレーこそが、完全移籍で加入した直後から、安間監督から求められてきたスタイルだった。指揮官は「正直、ここ3年ほどのお前のプレーは好きじゃない」と偽らざる思いを柏木本人にぶつけ、プロの第一歩を踏み出したサンフレッチェ広島時代や、浦和に加入した2010シーズンから数年間にわたって見せた姿を取り戻せと熱い檄を飛ばしてきた。 新型コロナウイルス禍で外出禁止令が出されていた2月の沖縄キャンプ中に、FW杉本健勇とともに飲食店を貸し切って外食した規律違反が発覚。杉本は厳重注意と罰金、練習参加禁止を科された後に復帰したが、昨秋にも家族以外の知人と都内で会食し、規律を破っていた柏木は居場所を失った。 退団を前提に移籍先を探すと浦和が発表したのが2月16日。キャプテンも務めた浦和と決別せざるをえなかった心境を「反省、反省、反省の日々が2週間続いた」と振り返ったことがある柏木は、3月12日に岐阜への完全移籍が発表された。新天地を岐阜に求めた理由は単純明快だった。 「岐阜さんが最初に声をかけてくれた。それが自分のなかでは一番嬉しかった。J2だけでなくJ1への昇格まで考えてここに来たし、岐阜さんとともにはい上がっていきたい。それを証明できたときに人としても、男としても、サッカー選手としても初めて成長できたと心から言えると思っている」 加入直後に対応したオンライン取材で覚悟と決意を明かした柏木だったが、実戦どころかチームの全体練習からも長く離れていた影響もあり、出場可能になった3月21日の第2節以降もJ3のピッチには立たなかった。チーム内に複数の新型コロナウイルス陽性者が出た関係で、今月6日から15日までは岐阜自体が活動休止となり、お互いを知る時間も一時停止を余儀なくされた。 ようやく訪れたデビュー戦。敵地で見た光景に柏木は胸を熱くした。富山まで訪れたサポーターが掲げた段幕には、初めてのベンチ入りを待ち焦がれていたとばかりにこんな言葉が綴られていた。 「岐阜の地にて陽はまた昇る柏木陽介42」 段幕は「陽」の文字だけ赤色で記され、岐阜のホームタウンに名前を連ねる県内の全市町村数にちなんで柏木が選んだ背番号「42」で締められていた。ピッチに入る際に降り注いだ万雷の拍手にも心を打たれたからこそ、柏木は感謝の思いをあらためて胸に刻み込んだ。 「このような状況のなかでチームに受け入れてもらって、温かい段幕まで出ていた。自分もまだまだ頑張らなければいけないと、FC岐阜のために、そして岐阜県民のために自分にできることはもっとあると、絶対にJ2昇格をもぎ取って一緒に喜び、岐阜を盛り上げていきたいと強く思いました」