ブガッティ「EB110」が3億1000万円! 式場壮吉氏がファーストオーナーだった個体には関係者しか知り得ないエピソードが…AMWで初公開します!
市販車として世界最速の最高速度351キロを記録
1993年4月3日、ブガッティは東京・赤坂の「アークヒルズ・カラヤン広場」を舞台に開催された同社のブランド公式プレゼンテーションに、3台の「EB110 GT」と「EB112コンセプト」とともにこの「S4」を展示。皇居周辺や国会議事堂前など、都心を走るパレードランにも供された。 伝説的なブランドであるブガッティの復活は、日本国内のみならず世界に向けて発信され、プレゼンテーションは大成功。新生「ブガッティ・アウトモービリ」は、日本における存在感を確固たるものとした。 そして、日本におけるセンセーショナルな初レビューののち、ブガッティ・アウトモービリ本社はS4をいったんイタリアへと戻し、1993年5月29日にはプーリア州レッチェ近郊の有名な高速周回路「チルクイート・ディ・ナルド」へと送り込む。そこでは、EB110こそが世界最速の市販車であることを世界にアピールするため、全社を挙げてのミッションが進められていたのだ。 ここでこのS4は351km/hという、後のこのモデルの公式データとなる最高速度を実際にマークし、EB110が世界最速の市販車であることを証明してみせた。
日本レース界のレジェンド、式場壮吉氏のもとに納められたエピソード
このスピードテストを成功裏に終えたのち、ブガッティ・アウトモービリと同社の日本事務所「ブガッティ・ジャパン」は、伝説的な日本のレーシングドライバー、故・式場壮吉氏のもとに納車するための手続きに入る。この記念すべき個体を式場氏に委ねるのは、かなり早い時期から決まっていたことだった。 1964年の「第2回日本グランプリ」にて、ポルシェ「904GTS」とともに伝説的な優勝を獲得した式場氏は、1960~1970年代におけるヒーロー。また、レーシングアクセサリーの会社「RACING MATE」を設立したほか、自動車専門誌『カーマガジン』(ベースボール・マガジン社刊)も創刊。当時の「カーキチ」たちにとっては、単なる憧れという以上のレジェンド的存在だった。 そしてブガッティ・アウトモービリ、および開祖の芸術性を活かしたアパレル&ライフスタイルブランドである「エットーレ・ブガッティ」両社の公式アンバサダーとなった式場氏のS4は、日本に戻ってきた後も『スーパーCG』誌1993年夏号で特集されるなど国内でのメディア露出も多く、当時の誌面にてご覧になった方もきっと多いことだろう。