水俣病マイク遮断問題で発言を封じられた82歳男性が伝えたかった妻の記憶と、国に願うこと 68年たっても全容解明されぬ「公害の原点」、環境省の不手際の背景に浮かぶ、患者認定の高いハードル
懇談に参加していた被害者団体の一つ、「水俣病胎児性小児性患者・家族・支援者の会」の加藤タケ子事務局長(73)は、環境省の対応を嘆いた。「人の心を持って聞いていれば、あんな対応はできない。患者側の声を機械音としか聞いてない」 ▽被害者側が求めているのは マイク遮断問題から1週間後。松崎さんは謝罪に訪れた伊藤環境相に対し、こう訴えかけた。「未認定の方々がいっぱいいる。その代表として私たちは活動している」。亡くなった妻の悦子さんのように、症状を訴えながらも患者と認定されない人は数多くいる。 そもそもの話となるが、水俣病は中毒性の神経疾患だ。メチル水銀に汚染された魚介類を多く食べた住民の間で発生した。中枢神経を中心とする神経系に傷害を受け、手足のしびれや感覚障害、視野狭窄や運動失調などの症状が現れる。中でも「劇症型」と呼ばれる重症患者は、激しいけいれんなどを伴いながら亡くなった。根本的な治療法は今もなお、見つかっていない。
国の公害健康被害補償法に基づく患者と認められれば、1600万~1800万円の一時金のほか、年金や医療費などの支給を受けることができる。 それでは、患者として認められた人は、これまで何人いるのか。メチル水銀が流出した不知火海に面した熊本、鹿児島両県ではこれまで、2284人が患者として認定された。その一方で、延べ1万7950件の申請が棄却された(2024年5月末現在)。そして、1400人余りが今も審査の列に並ぶ。 これまで多くの申請を棄却した患者認定基準は「厳しすぎる」との批判も多い。そこで、基準を巡る歴史を振り返る。 環境省の前身となる環境庁が発足したのは1971年。主要な目的の一つが公害の防止だった。水俣病を巡っては、環境庁は発足の1カ月後に、有機水銀の影響が否定できない場合は患者認定するとの通知を示した。 その後の1973年に、チッソの過失責任を認め、9億円超の賠償を命じた熊本地方裁判所の判決が確定した。この判決の影響もあって、患者認定の申請は急増した。