水俣病マイク遮断問題で発言を封じられた82歳男性が伝えたかった妻の記憶と、国に願うこと 68年たっても全容解明されぬ「公害の原点」、環境省の不手際の背景に浮かぶ、患者認定の高いハードル
しかし、環境庁は流れに逆行するような動きに出た。1977年に、患者認定には感覚障害とほかの症状の組み合わせなどを必要とする通知を新たに出したのだ。以降、患者認定は減る代わりに棄却者が急増する事態になった。 患者認定にとっての追い風もあった。感覚障害の症状しか診断されなかった女性について、最高裁判所は2013年の判決で、「感覚障害のみの水俣病が存在しないという科学的な実証はない」と指摘し、患者認定を義務づけたのだ。 それでも風向きは劇的には変わらず、1977年の認定基準は現在も固持されたまま。水俣病の公式確認から68年が過ぎた今もなお、患者認定を求める裁判は福岡高等裁判所などで継続中だ。 松崎さんが所属する「水俣病患者連合」と、共に活動する「水俣病被害者獅子島の会」は今年5月1日に営まれた犠牲者慰霊式に合わせ、伊藤環境相に要望書を提出した。共に暮らした家族の中でも患者認定の判断が分かれるケースがあると指摘した上で、切なる願いをつづった。「認定未認定の差こそあれ、症状にはなんら違いがありません。医療・介護の面において、平等かつ公平に扱われることを望みます」 ▽被害者側の求めに、国の対応は
患者認定のハードルは高いものの、国側も未認定患者を一律に突き放してきたわけではない。国はこれまで、患者とは認められないものの一定の症状がある住民に対して、2度の救済策を実施した。 1度目は1995年の政治解決だ。厳しい基準で認定申請を棄却された未認定患者が全国の裁判所に提訴していた。国は裁判などを終結させることを条件に、1人当たり260万円の一時金や、医療費などを支給する解決策を提示。約1万1千人が高齢化や裁判の長期化などを理由に、政府の提案に応じた。 2度目の救済策が導入されたのは2009年。契機となったのは、これに先立つ2004年の最高裁判所の判決だった。 一部の被害者が1995年の政治解決に応じず、引き続き国と熊本県に損害賠償を求めていた。最高裁判所は水俣病の被害拡大を防止しなかったとして国と県の行政責任を認め、従来の患者認定基準より広く被害を認めるべきだと判断したのだ。