世界の中心でクイを食べる~キト(中編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
研究科長の話だと、野口英世は、エクアドルの海沿いの街・グアヤキルというところで、当時そこで大流行していた黄熱病の研究をしていたのだという。調べてみると、野口英世はたしかに、アフリカに赴く前に、エクアドルのグアヤキルという街で黄熱病の研究をしていた。 <※注釈1:「黄熱病」とは、「黄熱ウイルス」の感染によって引き起こされる病気で、蚊によって媒介される感染症である。現在も熱帯地域で流行しているが、ワクチンがすでに開発され、実用化されている。ちなみに、2024年7月現在、とある理由から、筆者もすでにこのワクチンを接種している。> なんてこった。ウイルス学の教授として、地球の裏側から偉そうにはるばる訪問してきたくせに、自国の感染症学の英雄の活躍を露ほども知らなかったのだ。それはたしかに、千円札を額に入れて飾りたくもなる気持ちもわかる。それにしてもまさか、新型コロナ研究をめぐって辿り着いた国で、野口英世が出てくるとは......。 ――と、そこではたと気づく。以前この連載で、SARSアウトブレイクの最前線で奮闘し、命を落としたカルロ・ウルバニ医師にまつわるコラムを書いたことがある(11話、12話)。「感染症有事の最前線で奮闘する科学者」は私の憧れる研究者像のひとつであるが、野口英世こそ、感染症の最前線で奮闘し、そこで命を落とした微生物学者そのものであることに、エクアドルの地で気づかされることとなった。 <※注釈2:ここで自己整理も含めて記しておくと、私は「感染症有事の最前線で奮闘する科学者」の姿に憧れているのであって、「そこで命を落とす」ということにカタルシスを覚えているわけではないです、念のため>
■講演を終えて エクアドルという国との不思議な縁を感じながら、午後、劇場のような会場で講演をした。内容はもちろん新型コロナに関するものだが、このときは特に、パウルと一緒に進めてきた研究に焦点を当ててそれを紹介した。 その日の夜は、キトの旧市街を一望できるレストランで食事をした。キトの旧市街は、世界で最初に登録された世界文化遺産のひとつであるという。レストランからの眺めは絶景の一言で、しかもそれが、18時前後に夕景から夜景に変わるさまは、私の語彙力ではちょっと形容できないほどに素晴らしかった。 夕食には、エビのセビーチェを食べた。これも目を見張るくらい(比喩ではなく実際に)絶品だった。エクアドルの食のレベルはとんでもなく高く、食べたもののほぼすべてが美味しかった。 食事をしながら、パウルや彼の同僚といろいろな話をした。まず、エクアドルでの研究事情のこと。エクアドルは実験試薬の輸出入がものすごく厳しいらしく、実験に必須な「抗体」の輸出入も満足にできないらしい。そういえば、パウルとの共同研究のときにも、エクアドルの検体を日本に輸出するのにとんでもなく手間がかかったことを思い出したりもした(45話)。 そして、出張で訪れたどこの国でも訊くことにしているのが、新型コロナパンデミックの最初期のこと。パンデミック直後、キトはすぐにロックダウンしたので、被害は比較的小さく済んだという。しかし、過去に野口英世が研究をしていた、海沿いのグアヤキルという街では、感染が急拡大してしまい、制御不能になり、遺体がそのまま路上に放置されるほどの地獄絵図だったという。救急車も霊柩車も出動できないので、自宅で亡くなったら、遺体をシーツにくるんで外に出していたらしい。 ヨーロッパにも、アフリカにも、そしてラテンアメリカにも、似たような経験談がある。それが「パンデミック(世界的大流行)」であったことを、改めて痛感する瞬間である。 18時を過ぎて、夕景が夜景に変わると、急に肌寒くなり、レザージャケットを羽織った。店内には、「サンファニート」と呼ばれるエクアドルの音楽が静かに流れていた。 ※後編はこちらから 文・写真/佐藤 佳