「ただ食べている姿を観たい人がいることを『孤独のグルメ』が開拓した」松重豊&松岡錠司監督が語るコミック映像化秘話
『孤独のグルメ』のドラマ・劇映画で主演を務め、劇映画では脚本・監督を兼ねた松重豊氏と、『深夜食堂』の松岡錠司監督の豪華対談が実現。人気ドラマを映画化させたふたりが映画談議を繰り広げる。 ⇒【写真】映画のワンシーン。「言葉の通じない人たちが“食べ物”を通じて、交流が生まれていく感じをやりたかった」と語る松重氏
はじまりは『深夜食堂』だった?「ふたりのグルメ」
──劇映画の完成にあたり、松重さんがぜひとも対談したかったのが、松岡監督だとか。 松重豊(以下、松重):『孤独のグルメ』がスタートしたのは’12年ですが、その際に意識したのが『深夜食堂』でした。 松岡錠司(以下、松岡):『深夜食堂』は第1シリーズが’09年ですね。 松重:『深夜食堂』に出演したとき、「こういう作品って愛されるんだな」という体験をしたので、『孤独のグルメ』を始めるにあたってなんとなく踏襲したいと思ったんです。 松岡:『孤独のグルメ』はモノローグが多いですよね。『深夜食堂』もマスターのモノローグがありますが、心境はしゃべらないことを鉄則にしています。「その後、誰々さんはこうなりました」とか客観的な事実だけを述べる。「映画にもっとも近い表現形式は音楽だ」と言ったのはたしか黒澤明でしたが、要は絵画とか写真じゃなくて、映画は「時間の流れ」なんです。原作の『孤独のグルメ』の作画は故・谷口ジローさんですが、谷口さんの絵には、そこに「時間が流れている」感覚がすごくあるんです。 松重:完成度が高いですよね。 松岡:あそこまで静謐で心地よく時間が流れている画面を、そのまま実写にトレースはできません。でも映像の中の会話をダイアローグだけに頼るのではなく、モノローグでいくのはありなんじゃないか。つまりモノローグという手法は、谷口さんの絵と久住昌之さんの原作とマッチングがよかったのかもしれないと『孤独のグルメ』で感じました。
おいおい、この人クレイジーだな
松岡:今どきは映画に展開や筋立て、物語性や伏線の回収を過度に観客が求めている気がします。そんななか今回、松重さんはどうやって映画として紡いでいったんだろうと。そう思いながら観はじめましたが、序盤に登場する海での立ち漕ぎのところで嬉しくなりました。「おいおい、この人クレイジーだな」と。 松重:(笑)。 松岡:いい意味で、ですよ。だって普通の人はやらないでしょう。いくら近いからって島にSUPで渡ろうとするなんて。でもそれが、観客が映画の世界、映画の時間に入っていくきっかけになった。 松重:ありがとうございます。 松岡:ただ、そこからの展開を観たとき、これは僕自身が『深夜食堂』の映画化のときにも感じたことですが、果たして飽きずにもつだろうかと考えました。 松重:ええ、わかります。 松岡:でもね、見守っているうちに、このまま国境も越えて進んでくれと思うようになったんです。つまり『孤独のグルメ』という作品は、簡単に特定の場所に行き着いてはいけない作品なんじゃないか。都会の片隅にある、特定の店に行くというのも、ひとつの旅ではありますけどね。今回は、どこでもないどこか、東京とか日本の僕たちがたやすくわかる環境ではないところにまで、とうとう行ってしまう。まさに冒険です。あの宙吊りの時間帯がすごくよかったですね。説明ではなくて描写の連鎖になっている。