「”基準”に合致したら、一切の医療的行為を停止します」…”先進的”介護施設が設定した『死のライン』
有名施設で採用された「みなしターミナル」の基準
以前、ターミナルケアで有名な特別養護老人ホームを訪問したことがあります。そこは今から30年ほど前、他の施設に先がけて入居者の最期を看取ることで注目を集めました。当時はまだ施設の入居者が弱ってくると病院に送るのが普通だったので、医師会からは猛反発があったそうです。それに抗い、「生活の中で心穏やかに看取る」ことを先達的に実行して、理事長さんは高い評価を受けました。 それから数十年のときを経て私がその施設を訪問したときには、一般の入居者が暮らす介護棟に加えて、新たにターミナルケア棟ができていました。たいへん立派な建物で、窓にはステンドグラスがはまり、内装もとても見事です。 この施設で介護棟からターミナルケア棟へ移動する基準が、体重測定によるみなしターミナルだと説明がありました。ターミナルケア棟では、「自然に安らかな最期を迎える」という方針の下に、基準に合致した途端、一切の医療的行為は行わないということでした。 女性入居者の部屋を見せていただくと、「どこにおばあちゃんがいるの?」というくらいにベッドの上はぬいぐるみだらけで、その中でちょこんと寝ているおばあちゃんは透き通るようにきれいでした。 チグハグであっても、会話はできるし、笑顔もあります。でも、お風呂には入らないし、経管栄養はもちろんのこと、口から食べてもらう試みもほとんど行われていません。ずっとベッド上で過ごしています。なるほど、「自然に、安らかに」と言われればその通りです。 「私たちはこの施設の方針に従い、利用者様に対して、最期は一切の医療行為を行わず、安らかに息を引き取っていただきます。どの利用者様も、みんな同じような最期を迎えられます」という説明を受けました。 とてもシステマティックで、これなら家族にも、そこで働く職員にも迷いや戸惑いはないだろうなと思いました。
悩みながら自分たちで選択していく
「みなしターミナル」が、ターミナルステージかそうでないかを線引きする基準として本当にふさわしいのかどうかを判断できるほど、私は専門的な医療知識はもち合わせていませんが、私は迷いや戸惑いのないターミナルケアが果たして本当のターミナルケアと言えるのかと、この施設のやり方に強い違和感を覚えました。 お年寄りの体がしだいに衰弱していき最期の瞬間を迎えるまでのあいだに、家族はさまざまな選択を迫られます。そこには必ずといっていいほど、迷いや葛藤が生じます。 そのとき、この特養の例のように本人や家族が迷う前に、施設という他者から与えられたターミナルケアの枠にはめてしまうのではなく、本人や家族にとってどうすることがいちばんいいのか、その方法を一緒に大いに悩みながら自分たちで選択していくことがとても重要だと、私は改めて思うのですが、読者の皆さんはいかがでしょうか。 『お年寄りの『自立』には家族の協力が不可欠…親が介護施設で快適に過ごすために子どもができること』へ続く
髙口 光子(理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士・現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表)