沖縄で遺骨を掘り続けて40年 戦没者想う気持ちに「右も左もない」 遺骨収集団体・具志堅さん
「子どものころ、セミやカマキリを獲りに近くの山に行くでしょう。すると鉄兜(かぶと)を被ったままの頭蓋骨を見つけちゃうことがあるの。あの頃、大声を出して逃げ出すと言ったらハブと出くわしたときか、頭蓋骨を見つけたときだったな」 沖縄戦で犠牲になった人の遺骨収集を続ける団体「ガマフヤー(ガマを掘る人)」代表の具志堅隆松さん(67)は幼少期を振り返る。 戦後76年。日常の中で「戦争」を感じる機会は減る一方だ。しかし、激しい地上戦が繰り広げられた沖縄の土の中にはいまも多くの戦没者の遺骨が眠っている。具志堅さんはそれらを収集し、可能な限り遺族のもとへ届ける活動を約40年続けている。何が具志堅さんをかき立てるのだろう。
収集遺骨、激戦地中心に300体以上
太平洋戦争末期の1945年3~6月、住民を巻き込む戦闘が起きた沖縄戦では日本軍、連合軍、そして沖縄住民を合わせて約20万人が犠牲になったとされている。 特に日ごとに陣地の奪い合いが行われるなど激しい攻防が繰り広げられた「シュガーローフ」(いまの「那覇新都心」)や、その後の米軍の攻勢によって日本軍、住民らが逃げてたどり着いた沖縄本島最南端の糸満市では多くの犠牲者が出た。
冒頭、具志堅さんが頭蓋骨を見つけたという「山」も、シュガーローフに近く、多くの日本兵が命を落とした丘陵地帯である那覇市真嘉比(まかび)地区を指す。 具志堅さんは28歳のころ、他の団体が主催する遺骨収集に携わったことをきっかけに独自で収集を開始。当初は「人が恐がるようなことをなぜするのか」などと冷たい目線で見られた時期もあり「半ば隠れるように活動していた」と語る。活動拠点は上記のように本島南部地域が中心。これまでおよそ40年間に収集した戦没者遺骨は300体以上に及ぶという。 なぜそこまで遺骨収集に注力するのかを問うと、「戦没者の尊厳を守るため」と即答。DNA鑑定や所持品に残された名前を頼りに、遺族に遺骨を返してきた。自身も伯父が南太平洋パプアニューギニアのブーゲンビル島に出兵し、戦死した。