栗山英樹流~ビジネスに生きる世界一の組織活性術
セオリーに縛られない~二刀流を生んだ栗山発想術
2002年、栗山は私財を投じて野球場を作った。きっかけは大好きな野球映画『フィールド・オブ・ドリームス』。栗山は現役引退後、撮影現場となったアメリカの球場を訪れ、ある光景を見た。 「『フィールド・オブ・ドリームス』の球場で、台湾の子、日本の子、アメリカの子が遊んでいて、言葉が通じないのに試合をやり出したんです。こういう環境をつくってあげることによって人と人が結びついて、子どもたちに伝えたいことが伝わるんだと感動し、日本にもつくろうと思ってやったんです」(栗山) 出来上がった球場を栗山は無料開放。定期的に野球教室も開いてきた。そんな栗山に信じられない話が舞い込む。北海道日本ハムファイターズから監督の打診があったのだ。 栗山のマネージャーを務めた北海道日本ハムファイターズの岸七百樹チーフマネージャーは、「栗山さんは指導者というより、発想が教育者。プロ野球レベルの選手を教育者の目線で育てていく。それができる人を球団はほしかったのだと思います」と言う。
栗山自身はこう考える。 「このぐらい野球を愛しているなら『栗山に監督を任せてもいい』となったのではないかと思います。野球場をつくっていなかったら、監督になっていない。(グラウンドの隅に植えてある植物は)バットの素材のアオダモの苗を植えているんです。次の世代に残したいと思って」 アオダモの木が大きくなってバットになるのは60年も後のこと。そんな野球愛が運命を切り拓いたと栗山は思っている。 2012年、初めての監督生活がスタート。通常、新監督は自分が信頼するコーチを引っ張ってくるが、栗山は違った。球団との打ち合わせの席で「今までと同じ人で結構です。僕がやりやすい人を集めるつもりはありません。今いるコーチは自分より優秀な人たちです。彼らの力を借ります」。これでチームの空気が見事に変わった。 「それでコーチたちが『よっしゃ!』、栗山監督のためにやろうと。そこでコーチたちの心をつかんで、その年に優勝です」(岸さん) リーダー・栗山には頑なに守ってきた流儀がある。 「僕みたいに、もともと誰も監督をやらないと思っている人間が監督をやった時点で、セオリーから外れているわけです。その人間がセオリー通りやっても意味がないし、常識に囚われるのが一番バカみたいなので」(栗山) その流儀は大谷翔平との関係に象徴される。2013年、大谷が入団すると、栗山は球界のセオリーに反するかつてない育成プランを打ち出す。それこそが二刀流だ。 分業が定着したプロ野球界のセオリーは無視。するとすぐさま周囲は騒ぎ出した。プロはそんなに甘くない、才能を潰してしまう、二刀流を捨てろ……。 「みんなが言うけど、誰がやめさせるんだ、と。才能があったから、どちらかをやめさせるわけにはいかない。僕は成功すると信じてやっただけです」(栗山) 栗山が信じた才能は今、メジャーリーグを席巻。最も価値のある選手となった。