伊達政宗ゆかりの北限のお茶に、「日本茶文化の未来」を見つけた
JR東日本が運行する周遊型臨時クルーズトレイン「トランスイート四季島」で使われているという緑茶を飲んだときのこと。「これだ!」…心の底から清水のように湧きあがる喜びを感じた。これぞまさに、求めていた理想の煎茶だ。こんな感動を味わったのは、久しぶりのことだった。 最近どうも、お茶に関して奇妙な体験ばかりしてきたからかもしれない。自分より少し年若い40代前半の女友達の自宅に遊びに行ったとき、出されたお茶が衝撃的だった。ペットボトルの緑茶(ホット用ではない)をミルクポットに注ぎ、温めたものだったのだ。育ちのいい彼女のこと、おもてなしには緑茶という概念は確かにあるのだろう。しかし、味にはこだわらないというか、なんというか……。これが今の日本のお茶文化の一端なのだなと、そこはかとない不安に駆られてしまった。 そんな不安を払しょくしてくれたのが、先述の「四季島」のお茶だった。味わい深いのに、軽やか。お茶ならではの滋味深い渋みと甘みのバランス。煎じたてのような芳醇な香り。このお茶を、あの友達にも飲ませてあげたい……。この理想のお茶を作っているのは、どんな人なのだろう。そんな興味に突き動かされ、宮城県の塩竃(しおがま)を訪れた。
宮城県下唯一の茶畑で生まれる北限のお茶
古来の東北鎮護の大社、志波彦神社・鹽竈(しおがま)神社の門前町に店を構える茶匠矢部園。「四季島」に4種類のお茶を提供しているこの茶舗の主、矢部亨さん(50)にお茶を淹れて頂きながら、話を伺った。 矢部家はもともと、静岡県の相良出身。矢部さんの祖父が縁あって塩竃に入り、郷里相良の茶を80年ほど前から売り始めた。以来、今日に至るまで相良のお茶農家たちとの付き合いは続いている。創業300年の問屋も、農家も、茶舗(矢部園)も、付き合いが始まって以来、それぞれ技術を継承しながら揃って三代目だという。
そんな矢部園の看板商品のひとつが「伊達茶」。「四季島」に提供している4種のお茶の中には、ほかに「伊達茶 玄米茶」がある。「伊達茶」はその名の通り、仙台を中心とした伊達家のお膝元のお茶であり、長い付き合いのある相良のお茶ではない。 あまり知られていないが、実は仙台は銘茶のふる里だ。400余年前、茶人大名としても名を馳せた仙台藩祖・伊達政宗が、領内に茶の樹を植えさせたことから、仙台藩は茶の産地となった。茶作りに力を注いだ政宗が、「領地の茶はこれからもっとよくなり、奥州の宇治と呼ばれるようになる」 と記した書状も残されている。 しかし、明治時代に入ると、静岡をはじめとする生産力のある地のお茶に押され、次第に仙台を中心としたこの地域のお茶の生産量は減り、生産農家も姿を消していった。 そんな中、明治時代に開園された鹿島茶園(石巻市桃生町)が今も伊達政宗以来、この地に受け継がれてきた茶作りを守り続けている。そして、それを販売という形で支えているのが、矢部さんなのだ。 「鹿島茶園の現当主、佐々木浩さんのおじいさんが、廃れていた茶園を再興させました。その話を私の祖父も聞いていて、興味を持っていたようです。それが、私たちの代になってこうして『伊達茶』として本格的に世に出すことができるようになりました」(矢部さん) 政宗以来の当地のお茶だが、今では佐々木さんの鹿島茶園だけが宮城県下唯一の茶畑になった。産業として成り立っているお茶の生産地としては、鹿島茶園が日本の北限だという。