「局アナ時代は“労働は罰”」「パリ五輪会場で出会った外国人への憧れ」元フジテレビ渡邊渚アナが語る「日本の働き方」への思い
今年8月末にフジテレビを退社した渡邊渚アナウンサー(27)。2020年の入社後、多くの人気番組を担当したが、昨年7月に体調不良を理由に休業を発表。退社後に、SNSでPTSD(心的外傷後ストレス障害)であったことを公表した。約1年の闘病期間を経て、再び前に踏み出し、来年1月29日に初のフォトエッセイの発売も決まった。そんな渡邊アナが世の中への思いを赤裸々に書き連ねるエッセイ連載の第3回は、局アナ時代から疑問に思っていた「日本の働き方」について語った。 【渡邊渚アナの最新グラビア写真】「今回のような衣装は新鮮でした」
* * * 12月3日、小池百合子都知事が、来年度から都庁で「週休3日」を選択できる勤務制度を導入する方針を明らかにした。1日の労働時間を増やしてでも週3日休んだほうがいいという人もいれば、週休2日じゃないと仕事が回らないと思う人もいるだろう。 考え方は人それぞれだから、どちらが正しいとか間違っているとかは思わないが、“働き方を選択できる”というのはとても魅力的に感じた。20代後半女性の私にとっては、結婚や妊活、出産、子育てとあらゆるライフイベントが待っているであろう未来に、柔軟な働き方があるのは希望になった。 先日、同世代の友人たちとも「『生理休暇』なんて名ばかりの取りづらい休みより、男女平等に週3日休んでいいよってルールのほうが正々堂々と休めていいよね」と話していた。 都が週休3日制を率先してやってくれて嬉しいし、あらゆる企業がこれに追随してくれたらな~と思う。
フジ時代の働き方は幸せだったか?
以前の会社(フジテレビ)を退職するまで、私は“労働は罰”と思っていた。仕事に行きたくないと憂鬱に思ってしまう日の朝は、「憲法で勤労が義務づけられているから」と心の中でつぶやきながら出勤していた。 当時は朝2時(もはや深夜)に起床し出社。朝の情報番組の生放送を8時までこなして、その後は別の番組のリハーサルをやり、22時過ぎまで収録して、翌日も2時に出社するということがザラにあった。おまけに年5日の有給休暇もまとめてとることはできず、4日と半日×2日といった具合に取得していた。 それでもアナウンサーの勤務形態はまだいいほうで、局の社員ではない制作会社所属のADさんは超長時間労働とそれに見合わない報酬で、突然“飛んでいく”スタッフは数え切れないほどいた。 現役で働いていた時は若くて体力があり、やりがいも感じていたからなんとか乗り越えられたが、あの生活をしていた頃が幸せだったかと聞かれると首肯しがたい。あの頃は、給料=やりたくないことをやった対価と捉えていたし、でもその稼いだお金を使う時間はなくて、何のために働いているんだっけ? とよく考えていた。