ウクライナ選手はパリで笑った。戦時下の五輪、祖国に届けた希望 犠牲甚大も「決して諦めない」大舞台で見せた底力
ハルランの活躍は想像を超えるものだった。サーブル個人3位決定戦で韓国選手にリードを許すも、7連続ポイントで逆転。驚異的な粘りでウクライナのパリ大会初メダルを勝ち取った。直後の取材に「国と兵士、戦争で五輪に出られなかった仲間のために戦った」と思いを語った。 女子サーブル団体では、最年長のエースとしてチームを引っ張った。決勝の韓国戦では、チームの得点の約半数を稼ぎ、決勝のポイントも決めた。勝負が決した瞬間、観客席のフトツァイトは立ち上がり、歓喜のおたけびを上げた。 会場のグランパレに国歌の「ウクライナは滅びず」が響いた。表彰台のハルランは目を真っ赤にしながらも、笑みを浮かべた。17歳だった2008年の北京夏季五輪から積み上げたメダルは計6個。「ウクライナのために戦ってつかんだ金メダル。これまで以上に価値がある」と感傷に浸った。 走り高跳びのマフチフは大会直前の6月にイタリア・ローマでの欧州選手権で優勝。7月には世界記録を37年ぶりに更新して大舞台を迎えた。結果は金メダル。「もっと高く跳べた」と記録には満足しなかったが、「ウクライナよ、金メダルを持って帰るよ」と笑顔を見せた。競技後に、ウクライナの記者からクロワッサンを贈られて跳びはねるマフチフ。手渡した女性記者は「彼女はパン好き。特にクロワッサンに目がない22歳の英雄よ」とたたえた。
▽ウクライナは負けない 総動員令が出ているウクライナでは18~60歳の成人男性は原則出国できず、パリで現地観戦するウクライナ人は多くなかった。マフチフの父親もウクライナにとどまった。国民は、テレビの前やパブリックビューイング(PV)で選手の活躍を見守った。 キーウ在住のヤーナ(20)はフェンシング女子の試合をテレビ観戦した。「決勝の最後の5分は心臓が止まるほどの緊張感があった。勝ってマスクを脱いだハルランは、今までで一番美しかった」。同じくキーウに住むオレクサンドルは「選手は国の強さの象徴だ。国民に希望と誇りをもたらしてくれた」と喜んだ。 ウクライナが世界にその存在と強さを示したパリ五輪は終わった。パリで聞く「ウクライナは滅びず」は、北京大会の時とは違う印象を持った。歌詞の一節に「運命はほほえむ」とある通り、ウクライナに希望を届けるメロディーに思えた。 ハルランは言った。「私の国は決して諦めない。負けることはあり得ない」。2年半の戦闘の中で深めた勝利への決意こそが、ウクライナ選手の強さと笑顔の源泉になっていた。