ウクライナ選手はパリで笑った。戦時下の五輪、祖国に届けた希望 犠牲甚大も「決して諦めない」大舞台で見せた底力
ノルディックスキー距離オープン10キロリレーで金メダルを獲得した後、グリゴリー・ボウチンスキーは険しい表情で語った。「国のために勝利しないといけなかった。そしてウクライナ人はこの戦争に勝たないといけない」。2年半がたった今も、ボウチンスキーが誓った勝利は見えていない。 ▽ボイコットの危機 記者は北京パラリンピックの取材後、ウクライナに3度出張した。昼夜問わず空襲警報が鳴り、無人機(ドローン)が飛来する。従軍した息子を失った母親、両親を亡くした子ども。父親が占領地に取り残され離散した家族。戦争は全てのウクライナ人を苦しませ続けている。 パリ五輪を目指すアスリートも苦境に立たされた。選手やコーチら3千人以上が従軍し、500以上のスポーツ施設が破壊された。犠牲となったスポーツ関係者も400人以上に上る。 侵攻後、ロシアと同盟国のベラルーシは主要な国際大会から排除された。ウクライナ選手の多くは海外に拠点を移し、異国の地で五輪出場に向けた練習や大会出場を続けた。
しかし、侵攻開始から1年が経過した2023年3月、国際オリンピック委員会(IOC)は、ロシアとベラルーシの選手を個人資格の中立選手として大会に復帰させるよう勧告した。「いかなる選手もパスポートを理由に大会参加が妨げられてはならない」というのが理由だった。 ウクライナは激しく反発した。ウクライナ・オリンピック委員会のフトツァイト会長は、ロシアとベラルーシ勢のパリ五輪出場が認められるのであれば、ボイコットも辞さない構えを見せた。自国の選手に対し、ロシアとベラルーシ勢が出場する大会への出場を禁じ、違反した場合は処罰を検討するとも主張した。 かたくなにも思えるフトツァイトの胸の内は複雑だった。自身もフェンシングの元選手で、五輪金メダリストでもある。2023年8月、キーウ(キエフ)で真意を聞くと「五輪は人生を賭けて目指す舞台だ。辞退は考えられないという選手の気持ちは痛いほど分かる」と本音を漏らし、こう続けた。「ウクライナ国旗はパリに掲げられ、国歌が流れるだろう。ただ、それまでにやらないといけないことがある」。何としてもロシアとベラルーシをパリ五輪から排除するという決意だった。 ▽愛国の剣士