ウクライナ選手はパリで笑った。戦時下の五輪、祖国に届けた希望 犠牲甚大も「決して諦めない」大舞台で見せた底力
ウクライナ選手の思いは共通していた。五輪に出場したいが、ロシア選手とは競技したくない―。陸上女子走り高跳びのヤロスラワ・マフチフは侵攻が始まった後、ライバルで友人だったロシアのマリア・ラシツケネとの関係を絶った。東京五輪ではラシツケネが金、マフチフが銅。競技後には抱き合い、健闘をたたえ合った仲だった。マフチフは、ラシツケネが侵攻について沈黙したことに不信感を募らせた。 フェンシング女子のオリガ・ハルランは2023年7月の世界選手権で、ロシア出身のアンナ・スミルノワに勝利後、握手を拒否して失格となった。 その翌月、ハルランにインタビューした。「ウクライナを血で染めた国の選手と握手しないのは当然のこと。後悔はしていない」と語り「世界に自分の思いを伝えられたことを誇りに思っている」と胸を張った。 インタビューが終わった後、「これが私の思いです」。そう言って見せてくれたのは、腕に刻んだウクライナの地図のタトゥーだった。ロシアに併合されたクリミア半島を含む全土奪還まで戦うという意志を込めたという。祖国を思う気持ちと芯の強さ、まさに愛国の剣士だ。IOCは、パリ五輪予選を兼ねる世界選手権で失格となり、五輪出場が危ぶまれたハルランに特例でパリ五輪出場を認めた。
一方で、走り高跳びのマフチフのライバル、ラシツケネは2023年5月、国際大会からの引退を宣言した。「続けたいけど、もう希望は持てない」とうつむいて涙ぐみ、五輪連覇を断念する無念さをにじませた。 ▽祖国にささげる金メダル ウクライナが正式にパリ五輪参加を表明したのは2024年5月のことだ。ロシアとベラルーシ勢は国を代表しない個人の中立選手(AIN)としての参加が認められ、フトツァイトが訴えた完全排除とはならなかった。開会まで約2カ月に迫っており、参加可否の決定をそれ以上遅らせることができない事情もあった。派遣選手は140人と、夏季五輪としてはウクライナ史上最少となった。ウクライナ・オリンピック委員会の幹部は「攻撃が続く中、参加できるだけで奇跡だ。選手団の勇気をたたえたい」とコメントした。 迎えた7月26日の開会式。激しい雨が打ち付けるセーヌ川の船上パレードでは、チームメートとはしゃぎ、白い歯をみせるハルランの姿があった。