蒔絵師の娘、一周忌に合わせ両親が決意の納骨「皆と会えるように」…能登地震11か月
能登半島地震の発生から1日で11か月となった。石川県輪島市の朝市通りで起きた大規模火災で娘を亡くした兵庫県三田市の夫婦はこの間、遺骨を手元に置いて過ごしてきた。いまだに娘の死を受け止め切れずにいるが、「たくさんの人が娘に会えるように」と一周忌に合わせて納骨を決めた。(金沢支局 秋野誠) 【写真】次女の怜奈さん
「もっともっと、怜奈の作ったものを見たかったなあ……」。三田市に住む島田富夫さん(73)は、金魚をのぞき込む猫の姿が愛らしく描かれたおちょこを手に取ると、小さな声でつぶやいた。輪島塗の蒔絵(まきえ)師だった次女の怜奈さん(当時36歳)が手がけた最後の作品だ。
朝市通りに自宅兼工房があった怜奈さんは、年末年始は帰省することが多かったが、「正月は仕事が忙しくて帰れない」と連絡があった。
元日の昼過ぎ、家族のLINEグループに怜奈さんから写真が送られてきた。栗きんとんや紅白なますなど手づくりのおせち料理の数々。「盛りつけ頑張りました」とのメッセージも添えられていた。4時間後、能登地方を大きな揺れが襲った。
電話はつながらず、LINEも既読にならない。「どこかに避難している」「記憶をなくして病院にいるんじゃないか」。夫婦はそう祈り続けたが、1月10日に警察から連絡が入った。家の焼け跡から人の骨が見つかったという。
家族が輪島に入れたのはその3日後。娘が住んでいた一帯には、焼け跡が広がっていた。2月、DNA型鑑定で身元が判明した。
怜奈さんは絵が好きで、幼い頃から動物やアニメのキャラクターをよく描いていた。中学で本格的に美術を始め、美術科のある高校に進学。「学校が大好きで、デッサンや生徒会活動のために土日も通っていた」と母の裕子さん(66)は振り返る。
蒔絵に出会ったのは高校の授業だった。すぐにのめり込み、蒔絵を学べる秋田市の短大に進学した。2008年から石川県立輪島漆芸技術研修所(輪島市)で蒔絵の腕を磨き、卒業後は蒔絵師に弟子入り。アルバイトで生活費を稼ぎながら、制作に打ち込んだ。