<安保法制>民主党・福山哲郎議員に聞く 戦争に巻き込まれる法案なのか?
立憲主義の精神
質問:立憲主義とは何でしょうか。 福山:権力を持ってる側をいかに抑制するか。主権者である国民が、いかに権力の乱用を抑えるか。これが立憲主義という考え方です。だから、国会議員には、政府の閣僚も含めて、憲法の擁護義務があります。内閣にしたって、国会議員にしたって、憲法の範囲内で政治ができるわけです。それを飛び越えるとすれば立憲主義に反する。立憲主義は権力者を縛るものです。縛られるはずの権力者が憲法の解釈を勝手に変えて、憲法の幅を広げることは、「縛る」という考え方からはまったく逆行する。 1983年の衆議院の予算委員会であった、当時の法制局長官の明確な答弁があります。「全く仮に」とした上で、こう言っています。「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり」(まさに今の状況ですよね)、「それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然取らざるを得ないと思います」。「そういう手段を取らない限りできないということになると思います」。 1997年の大森・内閣法制局長官の答弁では、「長年の議論の積み重ねによって確定し、定着してる考え方、解釈というものを政策上の必要性によって変更するということは困難ではないかということを申し上げてる次第です」、とあるのです。 これらの元となった政府見解が、昭和47年の見解であり、集団的自衛権の行使はできないと定めた見解です。「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認される」と、自衛権を説明。そして、「その措置は右の事態を排除するため、とられるべき必要最小限の範囲にとどまる」。これが個別的自衛権。「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、従って他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない」。 自民党政権が構成した内閣の法制局長官が、以上のように答弁してきたのです。中曽根総理であろうが、竹下総理であろうが、どの総理であっても、歴代の自民党の総理は、「集団的自衛権の行使はできない」という考え方を踏襲してきた。それなのに、国民にも、国際社会にも長年定着をしてきた考え方を変えようとしている。こんな大転換をわずか一度の国会で、10本の法律にまとめて一遍にやるのか。これが国民に理解してもらえるやり方なのか。