サウサンプトン移籍が決まった菅原由勢が明かす“一大分岐点のルーツ”。「衝撃が一番スゴかったのは…柏戦で0対20とか」【独占取材】
「アイツらヤベぇ、スゲぇと思えたことが、むしろ良かった」
2019年7月、19歳の菅原由勢はAZでのデビュー戦を終えると、報道陣の質問より早くこう切り出した。 【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「 Jリーグ歴代ベスト11」を一挙公開! 「まずは使ってくれたアルネ・スロット監督、今まで育ててくれた指導者の方、支えてくれた家族、今までお世話になった人たち、すべての人にお礼を伝えたいと思います。まだまだここは通過点ですし、これからもっと長い道のりがあると思いますけれど、まずはスタート地点に立てたということに感謝の気持ちをみんなに伝えたいと思います」 あれから5年。日本代表に定着し、オランダで一児の父となった右サイドバックは、この夏、イングランドの港町サウサンプトンに活躍の場所を移す。 菅原がオランダを去る予感があった。 デビュー戦後に残したコメントの背景を最後に訊いておきたい――。そう思った私は5月、ジュニア、ジュニアユース時代の思い出と、家族との絆を菅原に語ってもらった。 ラランジャ豊川は2003年発足の街クラブ。2000年生まれの菅原は幼稚園のときに同クラブに入った。 「『雨の日は基本的に練習中止』と言われていたんですが、僕も含めてそれでも来ちゃう子はいるんです。そういう子たちのために宮沢さんは練習場にいた」 “宮沢さん”とはラランジャ豊川の宮沢淳代表のこと。 「1年で360日くらい、宮沢さんとボールを蹴ってたから、会っていた時間は親より長かったと思います。俺がサッカー馬鹿なのは、宮沢さんもサッカー馬鹿だったから。練習が午後5時スタートなら、4時には2人でボールを蹴っていた。ジュニアの練習は1時間くらいで終わるんですが、夜9時くらいまでジュニアユースの練習があるからグラウンドは開いている。『コーチ、ボール蹴ってていいですか?』なんて訊きながら、友だちとずっとサッカーしていた。 親から『早く帰ってきて』と言われて『分かった』なんて答えるんですけれど、そのまま待たせて9時までボールを蹴り続けた。ありがたいことに、親から『もう止めて帰ろうよ』とか『さすがにやりすぎ』とかネガティブなことを真剣に言われたことが1回もなかった。親が『やりたいことをやりなさい』という環境を作ってくれました。サッカーを自由にやらせてくれた親に感謝しています」 ラランジャ豊川での一番の思い出は? と訊くと、しばし考えてから「あるわ。一番の思い出が一個だけある」と前置きして、菅原が語り出した。 「僕が10歳くらいの時、上級生たちと関東遠征して、ラランジャに入って初めてJリーグの下部組織のチームと練習試合をしたんです。それが水戸ホーリーホックと柏レイソルで、2試合ともコッテンパンにやられてしまった。柏戦は0対20とか、そんな感じ。今、僕はプロサッカー選手としていろいろ経験を積んできましたが、関東遠征で受けた衝撃が一番スゴかった。僕が小4で、相手が小6だったにしても天と地ほどレベルの違いがありましたね。 監督が『お前ら、何しに来たんだ』って怒っていました。だけど、僕にとっては『アイツらヤベぇ、アイツら、スゲぇ』と思えたことが、むしろ良かった。小学生の頃はまだプロサッカー選手になりたいと思っても、(夢の実現に向けて)半信半疑だったりするじゃないですか。彼らにボコボコにされて、あらためて『アイツらに絶対に負けたくねぇ、プロになりてぇ』と(進むべき夢が)確信に変わったのが、あの瞬間でした」
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