大泣きしながら交番に駆け込み「この家族は最悪です」里親家庭で繰り返し過酷な体験をした少年の"将来の夢"
■新たな里親家庭は「ザ・ノーマル」な家族だった 中学卒業前に新たな里親家庭で暮らし始めた。「ザ・ノーマル」な家族だった。実子が2人いて、自分をかわいがってくれたし、休日は家族で出かけた。勉強については「ほどほどにがんばればいいよ」といった感じだったので、自分の好きな部活動もでき、夜遅く帰ってきても怒られないし、自由な時間は多くて、初めて「これが自由だ」と感じた。でもそのときはある種、自分の中では一線を引いていた。この人たちは偽善者だと思い、心底信じてはいなかった。家族の前では、かわいがってもらえるように接した。 しかし今は「お母さん」とか「お父さん」と普通に気安く呼べるようになったし、心は開いている。この家族は以前の家族とは違うと思うようにもなった。悟さんがバスケットボール部でインターハイに出場したとき、家族全員で応援に駆け付けてくれた。「小さいときの写真とかはないけれど、ここでの生活がスタートだよ」と家族が言ってくれて、「大切な家族の一員だからね」と言って、アルバムを作ってくれた。嬉しくて泣いた。 今は結婚して自分の家族を欲しいとは思わない。これまで家庭に憧れ、そのイメージを壊さないよう自分を合わせてきたから、本当の愛というのを自分は育めないと思って怖くなることがある。自分の家族をもったら、自分も偽善になってしまうと思っている。今は確かに自分は愛されているけれど、どこか満たされない感じもしている。 ■生き続けるための思考を身に付けて生きてきた 悟さんは、耳を疑うような里親家庭での体験を淡々と落ち着いた口調で語ってくれた。最初の2カ所の里親家庭では、憧れが幻想となった。孤独な状況下での体験はあまりに過酷であった。自己否定のスパイラル、「『家族ありという肩書』だけあればいい」という家族や家庭への形式的固執、「この人たちは偽善者だと思い、心底信じてはいなかった。家族の前では、かわいがってもらえるように接した」という他者への割り切った思い。過酷な体験がそうした認知形成に影響を与えた。 幼いながらも自身の境遇を理解し、辛さを抱えながらも誰とも共有してもらえず、懸命に生きるための思考を自分なりに身に付けて生きてきた。今後の人生の中で、最後の里親家庭のように悟さんのことを大切に思ってくれる人との出会いを積み重ねることで、その思いも変化していくことと信じている。 一方で、人間の潜在的可能性や危機を撥ねつける力ともいえるレジリエンスも再確認できた。夢をもち続け、それに向けて努力できる悟さんの姿に、人間の可能性も感じた。現在の里親家庭では勉学の意欲を高め、着実に夢の実現に向け歩んでいる。 社会的養護の場が子どもにとって辛い体験となった場合、子どもの声は潜在化する傾向にある。支援者がそうした潜在化した声や気持ちに寄り添い、子どもが表現できる関係を形成できればいいが、子どもにしてみれば関係の深い支援者には言えないこともあるだろう。逆に関係のない第三者だからこそ言えることもあるだろう。子どもに関与する多様な支援者が、そういったことを認識して対応する重要性も感じさせられる。 ---------- 林 浩康(はやし・ひろやす) 日本女子大学人間社会学部教授 大阪府生まれ。北星学園大学助教授、東洋大学教授などを経て、現職。専門分野は社会福祉学。著書に『児童養護施策の動向と自立支援・家族支援』(中央法規出版)、『子ども虐待時代の新たな家族支援』(明石書店)、『子どもと福祉』(福村出版)など。 ----------
日本女子大学人間社会学部教授 林 浩康