なぜガンバ大阪の”レジェンド”宮本恒靖監督は電撃解任されたのか?
開幕戦直後の3月に選手6人、チームスタッフ2人がPCR検査で陽性判定を受けた。新型コロナウイルスのクラスターが発生した状況を受け、3月に予定されていたリーグ6試合が延期され、トップチームは同9日から2週間にわたって活動休止となった。 自宅内での筋トレなどに限定された日々で、キャンプから作り上げてきたベースが無に帰しただけではない。活動再開後は選手個々のコンディションにバラつきが生じ、急ピッチで4月3日のリーグ戦再開に間に合わせた反動からけが人も続出した。 10試合すべてで先発メンバーが異なる点からも、宮本監督が選手のやり繰りに苦心していた跡が伝わってくる。特に高尾瑠が離脱した右サイドバックは深刻で、小野瀬康介、佐藤瑶大、福田湧矢、奥野耕平と本職以外の選手たちが起用されてきた。 しかし、活動休止に伴う特別な事情を差し引いても、スタイルの転換が上手くいっていないと小野社長以下のフロント陣は判断したのだろう。そのなかで弾き出された結論が、冒頭で記した「チーム状況が改善することは難しい」となった。ACLを含めた過密日程が待つ今後を見すえれば、待ったなしのタイミングだったのだろう。 今シーズンは新たに導入した[4-3-3]でスタートするも、開幕戦でヴィッセル神戸に0-1で屈すると、活動再開後には昨シーズンまでのメインだった[4-4-2]へスイッチ。今月2日のセレッソ戦、8日の川崎戦で再び[4-3-3]にトライしたが、前者はかろうじて引き分け、後者ではシュートを6本しか放てずに0-2で完敗した。 新たなトライが結果に結びつかない状況に選手たちが戸惑い、自信も失われていく悪循環に陥る。結果として最後の采配となった広島戦後に、メディアから「元気のなさを感じる」や「焦りが見える」と問われた宮本監督は、努めてこんな言葉を返していた。 「勝ち点3を取りたい、という選手たちの思いもあるなかで、1-1から1点を取られて気持ちが重くなり、時間も少ないなかで、心が平穏ではない状況ではあったと思います」 ボールを保持するスタイルをさらに発展させるはずが、ピッチ上で見られたのはゴールを奪うためのチャレンジを恐れる選手たちの姿だった。負のスパイラルに陥ったチームを鼓舞し、上向かせる処方箋を残念ながら宮本監督はまだ持ち合わせていなかった。 日本代表のキャプテンとして2度のワールドカップに出場。ガンバが悲願のJ1リーグ初優勝を果たした2005シーズンには守備の要を担った宮本氏は、ヴィッセル神戸でプレーした2011シーズン限りで引退。その後は異色の道を歩み始めた。 翌2012年夏に国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院「FIFAマスター」に第13期生として入学。スポーツに関する組織論、歴史や哲学、マーケティングなどを学び、元プロサッカー選手で歴代2人目、元Jリーガーでは初めてとなる卒業生となった。