「パ・リーグ改革」真のMVPは”意外な人物”だった…!「我らのパシフィックリーグ」はいかにして守られたのか
「パ・リーグ再編」 真の立役者
日本経済新聞「私の履歴書」(2006年12月30日)で、球界再編のキーマンであった渡邊恒雄氏(元:読売ジャイアンツオーナー)は、こう述べている。 「パ・リーグの6球団は全部赤字経営で、人気のあるセ・リーグでも赤字のところがあった。当時、私がオーナーだった読売巨人軍が絡む試合はいつも好調。両リーグの球団数を減らして1リーグにすれば、巨人と阪神の人気で赤字球団を救えるのではないか」 プロ野球の経営が、長らく巨人の放映権料と人気に依存していたのは紛れもない事実。渡邊氏はこれらの活用で「パ・リーグを救える」と確信した上で「1リーグ制・10球団」構想を提唱したのだ。 ただ、氏の慧眼をもってしても、「巨人の地上波中継の衰退」は見通せなかった。特に、「たかが選手」発言があった04年7月には巨人戦の視聴率が平均11%、8月には平均8.7%に。結果として発言後は「56試合中33試合が視聴率1ケタ台」を記録(04年10月22日、毎日新聞)。このあと日本テレビは巨人戦の地上波独占中継から退いてしまった。 さらに「前年の原監督解任劇」「栄養費問題」などの影響もあり、一概には言えないが、一連の再編問題と氏の失言は少し前まで平均視聴率16%もあった「巨人戦」というコンテンツから、ファンが離れる要因のひとつにもなったのだ。 渡邊恒雄氏がもし役職に残っていたとすれば、パ・リーグで行われた「データマーケティングで集客」「若い経営者による改革」「配信ビジネス」といった手法を理解しないまま、いらぬ存在感を発揮していただろう。パ・リーグの経営改善が可能であったのは、球界再編ならびに「栄養費問題」で、このお方の影響力が弱まっていたからこそ…と言えなくもない。 そういった意味で、パ・リーグ改革の真のMVPは、「あたかも私が諸悪の根源のような」と自認する汚れ役に徹した“この方”であったのかもしれない。騒動から20年が経過した今、パ・リーグを盛り上げていただいた功績を思い出し、むしろ(いろいろな意味も込めて)感謝すべきであろう。 球界再編騒動が一段落し、大阪近鉄バファローズのファンが悔し涙を流した2004年11月30日から、もう20年が経った。何はともあれ、これからもパシフィックリーグに注目していきたい。 【つづきを読む】『「札幌ドーム」最終年より観客動員数が爆増中…!日ハム「エスコンフィールド」試合がなくても稼げる「驚きの理由」』
宮武 和多哉(ライター)