2014年のテレビを振り返る(5完)── 2015年は「テレビの劣化」を食い止める年に 水島宏明
テレビ報道でジャーナリズム精神が大きく後退!
そのほか、テレビ報道については2014年、いろいろなことがありました。 東京都議会での“セクハラやじ”問題でも当初は「自分ではない」などとインタビューに答えていた議員がやじを飛ばしていた超本人であることが分かったり、映像や音声を分析すると複数の声があったことが判明したりと、テレビの威力をみせつけ、テレビだからこそ追及できたニュースというのも存在しました。 「政治とカネ」をめぐる松島みどり法務大臣(当時)や野々村県議会議員(当時)の問題もテレビだからこそ大きく伝えられて問題として広がったという面はあったと思います。つまり「画(え)になるニュース」を伝えるテレビの特徴は今年も発揮されていました。 他方で、「画にならないニュース」は、たとえ大事な問題であってもごくわずかに報道されただけでした。たとえば、安倍政権が容認した「武器輸出」の実態を追った報道はごくわずかで、まったくこの問題を伝えていない放送局も少なくない現状でした。 また集団的自衛権の行使容認や特定秘密保護法の施行に関しても同様でした。画にならないし、視聴者が興味を持たないからあまり時間を割かなかったのか、多くの民放のニュース番組ではフラッシュ扱いでした。そんななかで、「憲法記念日」のニュースがこれまでは「護憲派と改憲派がそれぞれ集会」という見出しで伝えていたテレビ局が「改憲“賛成派”と“反対派”が集会」というふうに主客を逆転させ、見ようによっては「“改憲派”が主流」だと印象づけようとするかのような報道も登場しました。 権力をチェックするのがジャーナリズムの基本的な役割ですが、無自覚なのか意図されたものなのか、その基本さえ忘れたような報道姿勢のテレビ局が目立っているというのは国民にとっても良いことではありません。武器輸出でも集団的自衛権でも特定秘密保護法でも憲法改正でも、それに賛成なのか反対なのかを国民が考える上でも、「どんな問題・課題があるのか伝える」「現状がどうなっているのか伝える」は最低限の報道のはずですが、むしろできていないテレビ局の方が多くなってしまいました。ジャーナリズムという意味では大きく後退した年でした。