ポーランド映画の現在地<4>…巨匠アンジェイ・ワイダの足跡たどる展覧会、つなぐ映画学校
「学校を設立した段階でワイダは既に70代半ばでしたが、彼はとても献身的でした。国際コースにもいつも参加していました。それは亡くなる直前まで変わらず、朝から夕方まで生徒たちのプロジェクトの分析を行っていました」
生徒たちのプロジェクトに向き合う時、ワイダは常に「視覚的に考えていた」という。「ワイダは生徒のプロジェクトの映像に象徴的なものを見いだし、指摘や提案を行っていました。その分析が、作り手の意図と異なっていることもありましたが、思いがけない方向に想像力を膨らますきっかけになってもいました」
取材時、マルチェフスカ氏は、ワイダ生誕100年にあたる2026年に向けて、「エクラン+」をベースにした日本とポーランドの特別ワークショップの可能性をさぐっていた。「ポーランドの監督と俳優が黒澤映画のワンシーンを撮影して、日本の監督と俳優がワイダ映画のワンシーンを撮影したりすれば、文化横断的な実験になるのではないかと思ったりもしています」
最新のポーランド映画が集まるグディニアの映画祭の会場前の道には、ワイダの名前を冠した道が通っていた。新旧の才能を交差させながら、さまざまな境界を超えて、前に進もうとするポーランドの映画人たちのありようとどこか重なるように感じられた。(おわり)