「26歳で亡くなった知的障がいの兄」鈴木蘭々 マドンナのライブ帰りに知った突然の訃報と「最後の会話」
鈴木蘭々さんは18歳のころ、突然、兄の死に直面します。その後、オーディション落選続きから一転、国民的人気者として大ブレーク。肉親の死はどんな変化をもたらすのか。問い続けたものは何なのでしょうか。(全4回中の2回) 【写真】「何を見ているの?」鈴木蘭々さんとお兄さんとの兄妹ツーショット ほか(全10枚)
■障がいのある兄へ向けられた視線や言葉に傷ついて ── 鈴木さんには、夭逝(ようせい)した8歳上のお兄さんがいるそうですね。筒美京平さんプロデュース・鈴木さん作詞のデビュー曲『泣かないぞェ』には、お兄さんとの日々で感じたことが反映されていると聞きました。
鈴木さん:知的障がいのある兄との生活から、私は大きな影響を受けています。私は、世間から兄に向けられる視線やかけられた言葉に疑問を持ち、兄を通してみる世界がとても冷たく思えました。本当に心から優しく接してくれる人なんて、この世にはとても少ないんじゃないかと考えることもありました。 ── デビュー曲「泣かないぞェ」(作詞:鈴木蘭々・森園真)の♪世の中すべてみんな全部ウソツキ♪はインパクトのある歌詞です。鈴木さんは、世の中の矛盾やおかしさに早くから気づいていたのですね。
鈴木さん:そうかもしれません。でも、私に限らず子どもって、子どもだけれど、ときおり、けっこう鋭い目線で世の中を見て、感じている部分があると思いますよ。
■突然亡くなった兄「まさか最後の会話になるなんて」 ── お兄さんが亡くなったとき、鈴木さんは18歳でした。 鈴木さん:いまでも覚えています。東京ドームで行われたマドンナさんのライブの帰り、自分もあんな素敵なステージに立てるようになりたいとワクワクしながら、駅からJR中央線に乗ったところで、ポケベルに連絡が入って兄の死を知りました。たまたまその日は、私がひとり暮らしを始めて2日目。ひとり暮らしする引っ越しのときに、風邪気味の兄に「私、引っ越すから、この家には帰ってこないからね、じゃあね」「うん」と、カーテン越しに顔をあわせずに声をかけて出てきたんです。その2日後、兄は突然、天国の住人になっちゃった…。