大谷やキャメロン・ディアスを撮影する写真家、俵山忠 雑誌編集からビルボードを飾るまでの道
後日プロダクションから連絡があり、思いもよらない事を告げられたんです。「撮った写真がビルボード広告に起用されるかもしれない」と。耳を疑いました。その時は、嬉しいという気持ちの前に、直ぐにケイさんに事実確認をしなくてはという、焦りの気持ちが先立ちました。しかし僕の心配をよそに、ケイさんは「嬉しいねぇ~、君が撮った写真が素晴らしかったからだね」と、おっしゃられたんです。
その言葉を聞いた瞬間、僕はこんなに寛大な方とお仕事をご一緒させていただけていたのか!と鳥肌が立ちました。このとき、心の底からケイさんみたいなカメラマンになりたい!と思い、今でも唯一の師匠と尊敬しています。こうしてビルボードデビューを果たし、カメラマンとしてのキャリアのターニングポイントになりました。
水嶋:素晴らしい人格者ですね。エピソードから、俵山さんが出会ってきた人々の、俵山さんを信じる気持ちの強さを感じます。この連載でロサンゼルスで活躍する日本人の方々にインタビューしていますが、みなさん共通して人とのつながりが大きな影響を与えています。
俵山:振り返ると妻との出会いがあった34歳も大きなターニングポイントでしたし、僕が掲載写真のディレクションを務める「クラッチ・マガジン(CLUTCH magazine)」創刊時は、メンズ読者に向けてクラフツマンシップが伝わる色気や味のある写真を掲載し、”クラッチっぽさ”という形容詞が生まれ、フォトグラファーとしての自信もつきました。サンタモニカにスタジオ・オフィスを構えたのもこの頃です。
水嶋:ロサンゼルスでは、現在どのような仕事をされていますか?
俵山:主に広告の撮影を担当しています。先に述べた作品たちが、強く思い出に残っていますが、最近ではドジャースの大谷翔平選手の撮影を担当しました。彼とは度々撮影をご一緒していますが、集中力や洞察力、そして反射能力は素晴らしいです。
アスリートである彼は、常に撮影の場に身を置いているわけではなく、分からないこともあるかと思いますが、現場での集中力が長けていて、求められているものを瞬時に察知します。撮影現場では柔らかな物腰でありながら、周囲が全部見えているのだろうと思わせる動きをされます。