平田満「映画『蒲田行進曲』でヤスを演じ、大ブレイク。しかし、このままじゃ役者として駄目なんじゃないかと感じ、40代でフリーに転身」
◆自分は自分以外の何者でもない そして第3の転機は「今日この頃」だとか。それは、自分がどうして芝居をしているのかが、やっと腑に落ちるようになったから。 ――フリーになってから交通事故で大怪我をしたりして、やっぱり一人じゃ駄目だなと感じ始めたんです。結婚後に子供3人に恵まれましたが、ある日妻が、「やっぱり芝居がしたい」と言い出して。 彼女が舞台に復帰して初めての地方公演に行く時、僕が近くの駅まで車で送ったんですが、その帰りに衝突事故に遭って肋骨を5本折りましてね。幸い手術もしないで治りましたが、一人でやっていると、いろいろな人に迷惑をかけてしまうことに気づき、今の事務所にお話しして入れてもらいました。 その後、2006年にかみさんと二人で企画・制作をやる「アル☆カンパニー」というプロジェクトを立ち上げたんですが、それも自分という役者がわかるきっかけになりました。 ただ、去年あたりから続けるのが大変になってきて、今年から「パタカラぷろじぇくと」と題して、短編戯曲のリーディングを無料公演でやったりしています。 平田さんの充実した演劇人生は、軌道修正しながらまだまだ続く。 ――思えば僕の人生、ちょうどいい時にいろんな人との出会いがあって、過保護なくらいよくしてもらって、運がよかったとしか言いようがありませんね。本当に運だけです。 運も才能がなければ逃しますけど、よかったですね。 (撮影=岡本隆史)
平田満,関容子
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