平田満「映画『蒲田行進曲』でヤスを演じ、大ブレイク。しかし、このままじゃ役者として駄目なんじゃないかと感じ、40代でフリーに転身」
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第34回は俳優の平田満さん。『蒲田行進曲』でブレイクし、テレビドラマや大河ドラマにも出演。しかし、このままじゃ役者として駄目なんじゃないかと感じ、フリーで活動することを選んだそうで――。 【写真】映画『蒲田行進曲』でヤスを演じ、大ブレイク * * * * * * * ◆自分で生きるっていいじゃないか ところで『蒲田行進曲』の舞台初演(80年)の配役は、二枚目スターの銀ちゃんが加藤健一、銀ちゃんに憧れる大部屋俳優のヤスが柄本明、二人の間で揺れ動く小夏は根岸季衣だった。翌年の再演で銀ちゃんが風間杜夫に替わる。 82年、小説『蒲田行進曲』でつかこうへいが直木賞を受賞。その後映画化の話が持ち上がり、小夏はすぐに松坂慶子に決まるが、銀ちゃん役を松田優作が辞退して風間杜夫に。 ――そうだったらしいですね。つかさんから「おぅ、今度の映画、お前ヤスやるからな」って言われて、あぁ、やるんだ、みたいなね。舞台では違う役で出てましたけど、ヤスをやったことはなかったし、それに映画のことはまったくわからないし、風間さんと一緒だったんで何とかできたんだと思う。 それこそ、手こそ繋いでませんけど、いつも一緒に歩いてました(笑)。撮影所までの送り迎えもしてもらって、もう超過保護。 まぁ、知らないことだけを武器にして、僕は今まで生きてきたんですよね。あいつだからしょうがないや、って大目に見てもらってきた70年ですから。
しかし、『蒲田行進曲』でブレイクしたことは、平田さんにとって第2の転機ではないようだ。 ――ええ、『蒲田』があったおかげで、山田太一さんのテレビドラマ『シャツの店』(86年)に出演が決まったり、NHK大河ドラマでも『独眼竜政宗』(87年)など、次々に出演依頼が来るようになりました。 この仕事で生活できて、また、家族もできてよかったんですけど、40代になった頃、このままでいいのかな、といろいろ考えて、フリーになったんです。これが第2の転機ですね。 このままじゃ役者として駄目なんじゃないか、結局つかさんからいただいた財産を食い潰しているだけだなとか。自分の役者としてのアイデンティティみたいなものに疑問が生まれて、自分が何をやりたいのかわからなくなった。それでいっぺん一人になってやってみよう、と思ったんです。 自分で携帯電話を持って、脚本をもらいに行って、ギャラなんかも相談で決めて、そうやって自分がもらえたとなるととてもいい気持ちになる。自分で生きるっていいじゃないかと思えるようになりました。
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