「タイホラー映画」本国ではハリウッド映画超えの人気。朝の情報番組で“心霊コーナー”、オカルト大国の素顔に迫る
タイ人の「日常の中のオカルト」
オカルトは、タイでは決してエンターテイメントの枠にとどまるものではなく、タイ人の日常生活の中にもしっかりと根をおろしている。その意味では、オカルトが非日常的な立ち位置にある日本とは相当に異なるものなのだ。 「日常の中のオカルト」と言ってもピンと来ない人のために、まずは少し私の話をさせてもらうことにする。 私は2004年からタイに移住し、2008年よりバンコク都心の公立学校でタイ人の生徒たちに日本語を教えている。そんな中、現地の公立学校というタイ人ばかりに囲まれた職場環境で、早くからあることが目につくようになったのだ。 それが、日常のおけるタイ人とオカルトとの距離感だった。例えば、私にこんな話を聞かせてくれた生徒がいる。 「私の父には、親戚からもお金を借りるほどのギャンブル依存症の妹がいました。ある日祖父の堪忍袋の緒が切れ、その妹を勘当してしまったのです。 しばらくすると、祖父は足に不調を訴えるようになり、ついには歩くことができなくなってしまいました。そこで病院に行き検査を受けると、なんと足に見覚えのない“釘”が埋まっていたのです……」 話にピンときていない私に、いっしょに話を聞いていた別の生徒が教えてくれた。それは、タイ人が怖れている「カンボジア(クメール)式呪術」の一つで、恨みの念を釘として相手の体内に発現させる術なのだという。 この釘が呪いの具現化で、勘当した妹さんからの恨みの結晶であることは、この生徒の家族からすれば紛れもない“事実”として捉えられていたのである。 また、タイでは朝の時間帯でもキー局の情報番組で心霊ネタが取り上げられていることも、日常におけるオカルトの立ち位置を説明できるのではないだろうか。 監視カメラがとらえた、手動でしか開かないはずのワゴン車の扉が勝手に開く映像を取り上げ、ああでもないこうでもないと、これまた「日常の」テンションでキャスターたちがテレビの中で盛り上がる……というのも日本人の私にとってはなかなか不思議な光景ではある。 さらに、これは「オカルト」で括っていいかどうかは分からないが、タイでは占いも盛んだ。はたから見たら心配するレベルで、占い師の言葉に人生を委ねている人も多い。 やはりこの国では目には見えないものの力の存在を疑うものの方が少数派なのだろう。プラクルアンという御守りが重宝されているのも、そういった力に守ってもらいたいという気持ちを表しているといえる。