小3の娘はなぜ「短」の字を「豆へんに矢」と書き間違えるのか ヒントは「1、2年生で学習した漢字」
子どもの考えを理解するうえで、子どもが見せてくれる「間違い」は宝の山だ。いや、「間違い」と決めつけるのは大人の勝手な見方であって、子ども自身は自分の持っている限られた知識と経験に基づき、そこからもっとも妥当だと思われる解を表現しているに過ぎない。 【画像】小中学校で習う「部首が矢」の漢字、実は4つだけ…いくつわかる? だから「子どもの間違い」に出会ったときは、「間違い」を指摘するのはよいとしても、「間違えたから」といって怒る必要はないし、馬鹿にするべきでもない。また逆に「子どもの発想は柔軟だ」などと言って妙に持ち上げる必要もない。“発想が柔軟”なのではなく、その答えにしかたどり着けないのだ。
「めをつけよう」というヒントに困惑
ある時娘が、毎月送られてくる学習教材を自分の顔に押し当てて「分からへん」と半べそをかいている。見てみると、教材にはさまざまな動物が列車に乗っているイラストが描かれていて、「ウサギは前から何番目?」「イヌは後ろから何番目?」など序数を学ぶ単元になっている。 子どもが「分からない」と指さした問題のヒントをみてみると、そこには「ゾウさんのところにめをつけよう」と書かれていた。1年生の娘はゾウさんの場所らしきところに自分の目を押し当て「分からへん」と。 そりゃ、分からんはずである。小学1年生の語彙には比喩的な意味での「めをつける」はない。この例などは、面白さを通り越して、小学生の語彙を考慮していない教材会社に軽い怒りさえわいてくる。娘が不憫すぎる。娘は自分の持っている語彙の中から考えて「最も妥当な解」を選択したまでだ。
「短」は「矢」と「豆」だが
娘が小学3年生の時、漢字の書き取りテストで「みじかい」に対して〈豆へんに矢〉と書いていた。実はその数日前にも同じ間違いを直してやったばかりなのだが、漢字テストでまたしても同じ間違いをしていたのである。 「これは何かあるぞ」と思った私はさっそく娘に尋ねてみた。 私「どうしてこう書いたの」 娘「こうだと思ったから」 そりゃそうだ、正しいと思って書いている に違いない。愚問だ。そこで私は、正しい「短」を書いてみせたところ、 娘「へー、豆がこっち(漢字の右側、つくりの方)に来ることもあるんかぁ」 と学校で習ってるはずなのに、まるで初めて見るかのように感慨深げ。 どうやらうちの娘は「短」を習った際、「矢と豆」「矢と豆」「矢と豆」……「豆と矢」「豆と矢」と覚えていたらしく、「豆と矢」なら、「豆」が左で「矢」が右、と書いたらしいのだ。 娘は、なぜ「豆」を左(へんの側)に書いたか。その答えは「前年2年生で『頭』を習っていたから」である。