小3の娘はなぜ「短」の字を「豆へんに矢」と書き間違えるのか ヒントは「1、2年生で学習した漢字」
娘が作っていた「漢字についてのシェマ」
娘が3年生までに習った漢字で、へんとつくりに分かれているものを見ればすぐに答えはわかる。 1年生で学ぶ「林」「校」「村」、2年生で学ぶ「池」「海」「汽」「秋」「科」のように、左側にある「き」や「さんずい」、「のぎ」などへんとなる部首は常に左にあって、けっして右に来ることは、これまでは、なかったのだ。その結果娘は、「左にあるもの(へん)は常に左にある」という、漢字に関する認識の枠組みを作り上げた。 発達心理学において、「○○とはこういうもの」という知識の集合体はシェマ(英語ではスキーマ)と呼ばれ、認識や判断の枠組みとして働いている。娘は上に書いたような漢字についてのシェマを作っていたはずだ。 そこへ3年生になって「短」の登場である。2年生で「頭」をすでに学習しており、さらに「短」は「豆」と「矢」と覚えていた彼女は、自分の持っている「漢字知識の枠組み」に従った当然の帰結として、豆は「頭」と同じく左に、残った矢は右と“間違い”を書いた(ちなみに、頭の部首は「豆」へんではなく、「頁(おおがい)」である)。
「子どもが間違った」はチャンス
もちろん、すべての子どもがこの説明に当てはまるわけではないだろう。「短」を「豆」と「矢」のように分解せず、全体として覚えている子どももいるだろうし、学校で最初に「短」を学ぶ際に、「漢字知識の枠組み」を簡単に修正できる子どももいるだろう(おそらくその方が多数派なのだと思うが)。 うちの娘は「全体」より「部分」を見てしまう傾向があり、かつ枠組みの変更(調節)に、他の子よりもエネルギーを必要とする傾向があるのかもしれない。 いずれにしてもだ。子どもたちは、それまでの経験(学習)から考えられる最も妥当な結果として「間違い」を導き出している。だからこそ、大人から見て「子どもが間違った」と見えるときがチャンスだ。「なぜこの子はこのように考えたのか」「この判断に影響した既有知識はどのようなものか」。 子どもは自分の考えをうまく言語化できない。それを考えるのは大人・教師の役目だ。言い換えれば私たち大人は、「子どもに見えているもの」、「子どもの思考の道筋」を子どもの間違いから教えてもらうことができる。 「ははぁ!! 子どもって、こんなふうに考えるのかぁ」 それが分かるだけで面白くて仕方がない。