小笠原の電撃引退と柴崎岳が持っていた「リストバンド」
千葉県内で行われている合宿2日目の練習を終えて、ロッカールームへ戻った森保ジャパンのメンバーたちの間に衝撃が走った。前日に結婚式を挙げて、27日から合流したDF槙野智章(浦和レッズ)は「いろいろな選手から、驚く声が上がりました」と室内の雰囲気が一変したことを明かした。 鹿島アントラーズから電撃的に発表された小笠原満男の現役引退。UAE(アラブ首長国連邦)で開催されていたFIFAクラブワールドカップに参戦し、わずか4日前の23日には南米王者リバープレートとの3位決定戦に途中出場していただけに、誰もがチームの垣根を越えて青天の霹靂として受け止めた。 岩手・大船渡高から1998年に加入。前人未踏の3連覇を含めた7度のJ1優勝や、今年成就させたクラブ悲願のACL制覇など、実に17個ものタイトルを獲得してきた39歳のレジェンドが大きな決断を下していたことを、小笠原の眩しい背中に憧れてきたMF柴崎岳(ヘタフェ)も知らなかった。 「驚きはもちろんありますけど、元チームメイトとしても、そして同じ東北人としても、(小笠原)満男さんという一人の選手が下した決断に対して『お疲れさまでした』と言いたいと思います」 来月5日からUAEで開催される4年に一度の大陸選手権、アジアカップ2019へ向けて、柴崎は槙野とともに初日から1日遅れで事前合宿に参加。約1時間半のメニューを終えた直後に、取材エリアで真っ先に小笠原の引退に対する思いを尋ねられた。 青森・青森山田高から2011年にアントラーズ入りした柴崎は、昨年1月にラ・リーガ2部のテネリフェへ移籍するまで6年間、小笠原と常勝軍団のダブルボランチを担った。もっとも、間接的な接点をたどっていくと、ワールドカップ日韓共催大会が開催された2002年に行き着く。 「鹿島の選手も大勢選ばれていたなかで、満男さんは僕のアイドルのような存在でした」 当時の柴崎は、生まれ育った青森県野辺地町の野辺地SSSでサッカーに夢中だった小学4年生。アントラーズからトルシエジャパンに選出されていたGK曽ヶ端準、DF秋田豊、DF中田浩二、FW柳沢敦、FW鈴木隆行よりも、同じ中盤で東北出身者でもある小笠原に魅せられた。 「満男さんのリストバンドを買って、練習していたときもありました。鹿島に入って一緒にプレーできたことがすごく嬉しかった一人ですし、実際に満男さんの隣でプレーすることも多かった。口では多くを語らないですけれども、プレーのなかから僕自身、得るものがたくさんありました。一人の選手として成長させてくれた先輩、いや、大先輩です」