「今ほどは高く評価されていなかった」曽我部恵一がはじめて「はっぴいえんど」を聴いたときの「大きな衝撃」
キングレコード発の音楽メディアSOUND FUJIでは音楽評論家の柴崎祐二氏と共に過去の音源を探求し、日本の音楽の奥深さと魅力に迫っていく『Unpacking the Past』を連載中。曽我部恵一さんを迎え、ベルウッド・レコードに迫る第二回目を再編集してお届けします。 【写真】曽我部恵一が選ぶ、1970年代日本のフォークの「名盤」 連載「Unpacking the Past」の二回目は、1972年の設立からわずか数年の間に、日本のフォーク/ロックを代表する名盤を数多く送り出した伝説的レーベル、ベルウッド・レコードを取り上げる。同レーベルは、その活動当時にはヒット曲もわずかで、必ずしも「主流」とは言い難い存在であったが、のちの1990年代を迎えると、国内インディーズ・レーベルの先駆けであるURCレコードの諸作などとともに、当時を知らない若者たちから「再発見」され、大きな支持を得るに至った。 そうした日本のフォーク/ロック再評価の流れを決定づけたキーパーソンの一人が、1990年代初頭にサニーデイ・サービスのフロント・マンとしてデビューして以来、常に旺盛な活動を続けてきたアーティスト、曽我部恵一だ。後期ベルウッドのカタログのストリーミング配信開始にあわせ、改めて、この時代のフォーク~ロック作品との出会いと、レーベルを代表する諸作の不朽の魅力について、じっくりと語ってもらった。
曽我部恵一とサニーデイ・サービスのルーツ
――ベルウッドの諸作についてのお話を伺う前に、洋楽邦楽問わず、曽我部さんがいわゆる「フォーク・ロック」的な音楽に触れたきっかけから教えていただけますか? 曽我部:はじめはニール・ヤングでしたね。それと、ザ・バンド。中学生くらいから、インディー系のギター・ポップとかと一緒にレコードで聴いていました。その頃は日本の音楽はほとんど聴いていなかったんです。香川から上京して大学へ入ってからですね、 日本のロックを聴くようになったのは。 ――最初に聴いたのは何でしたか? 曽我部:はっぴいえんどの『風街ろまん』(URC・1971年)ですね。友達が貸してくれたんです。バッファロー・スプリングフィールドとかザ・バンドに影響を受けているらしいというのは知っていたんですが、だったらそっちを聴けばいいやと思って、それまではっぴいえんどは聴いたことがなかったんです(笑)。 それで、実際に聴いてみたら「全然違うじゃん!」と思いました。60年代の洋楽ロックみたいに団子状の音じゃなくて音質もすごくスッキリしているし、ドラムもベースもすごく太い。一曲目の「抱きしめたい」なんて、ブレイクビーツみたいに聴こえましたから。当時、レニー・クラヴィッツが人気を集めてましたけど、ああいうヒップホップの時代を通過した70年代ロック・リバイバルのサウンドに近いものを感じましたね。「これはすごい」と衝撃を受けちゃって、自分でも速攻でレコードを買いに行きました。 ――「昔の音楽」としてではなくて、あくまでリアルタイムの感覚に照らしてグッと来たということですね。 曽我部:そうですね。よく覚えているのが、同じ年の夏休みに田舎に帰って、当時付き合っていた彼女の運転する軽自動車のカーステで『風街ろまん』を聴いたときのことです。入道雲が目の前に広がる田舎道を走りながら「夏なんです」を聴いたあの感覚……。ちょっとSF的な不思議さもあって、すごく印象に残っています。その夏はずっと『風街ろまん』を聴いてました。 ――それで実際にサニーデイ・サービスもそういう音楽性へとシフトしていったわけですね。 曽我部:はい。当時は同時代のUKロックに影響を受けた曲をやっていたんだけど、「もう全部やめだ!」となって。