「今ほどは高く評価されていなかった」曽我部恵一がはじめて「はっぴいえんど」を聴いたときの「大きな衝撃」
はっぴいえんどは今ほど高く評価されていなかった
――思い返せば、1980 年代前半生まれの僕がURCやベルウッドのカタログに触れたのも、1990年代当時の曽我部さんたちの啓蒙があったからこそなんですよね。当時、東芝EMIからURCのカタログが一斉にCD再発されたタイミングで曽我部さんが選曲したコンピが出たり、ベルウッドのカタログも同時期に再発されたり。 曽我部:そうでしたね。ただ、僕らだけじゃなくて、あの時期は同時多発的にそういう志向のバンドが出てきたんですよね。みんな繋がっているわけじゃなかったのに、不思議と同じ時代に同じ音楽を再発見していく流れがあって。 ――洋楽志向の渋谷系の「次」を探すムードが高まっていたというのもあったんでしょうか。 曽我部:うん、それもあったかもしれないですね。当時、僕らの少し上の世代がファンクとかソウルのレア盤を買いまくっていたんですけど、僕らみたいなもっと若い世代はお金が無くて、いわゆるフリー・ソウル系の名盤には手が出せなかったんです。けど、このあたりの日本のフォークやロックは当時はまだ安くて、1,000円しないような値段でほとんど揃えることが出来たんです。そういう経済的な理由もある気がしますね(笑)。 ――今でこそ評価が定まって定番化しているものも沢山ありますけど、当時はまだまだ……。 曽我部:そう。僕らがはっぴいえんどを聴き始めた頃は、まだ今のように高く評価されていませんでしたからね。今みたいに、日本のロックといえばまずはっぴいえんどの名前が挙がる状況ではなくて。 ――その頃はURCとベルウッドのカタログを並行して聴いていた感じですか? 曽我部:そうですね。URCが少しコアなテイストが強くて、片やベルウッドは洗練味があるイメージですかね。ベルウッドにはプロテスト・ソングもあまりないし、純粋なフォークというより、あくまで日本のフォーク・ロック系レーベルという印象があります。