イチローの振り子打法の元祖論争に決着!
阪神、日ハムで活躍後、海を渡り米国のアトランティックリーグでプレーしていた坪井智哉氏(40)は、今季途中に引退、評論家活動などをスタートさせているが、THE PAGEが7日までに独占インタビュー。現役時代の秘話や4年ぶりに日本野球に感じていることなどを聞いた。その中で決着したのが、ヤンキースのイチローが先か、坪井が先かと、一部で話題になっていた振り子打法の“元祖”を巡っての論争。坪井氏自身が明らかにした、その真相とは? まるで芸術品のような打法だった。 スッと上げた右足を前後にまるで振り子のように揺らしてタイミングを取る。時を止める静寂を演出してボールを確実に芯で捕らえた。振り子打法と名付けられた、その独特の美しく奇怪な打法は、長らくシーズン200本安打を筆頭に数々の記録を作ってきたイチローの代名詞だった。だが、1997年に青山学院大-東芝からドラフト4位で、阪神に入団した坪井が、同じように見える振り子打法でデビュー。イチローのブレイクは1994年でプロの世界では、明らかにイチローが先だったが、当時の新聞報道などが火をつける形で、振り子打法について、イチローが先か、坪井が先かという論争が沸き起こっていた。いつしか論争は一人歩きして、誰も今さら改めてイチローや坪井に直接、確かめることもできなくなって、元祖論争は迷宮入り。共に振り子打法を、そのバッティングの進化の過程で封印したことによって答えを求める人もいなくなった。 ――ズバリ聞きます。振り子論争。イチローかあなたか、どちらが先ですか? 「もう勘弁してください(笑)。そもそもは大学3年になったときに、このままじゃプロへは行けないと思ったことが発端でした。当時、佐々木誠さんのバッティングスタイルが好きで、大きく足を上げてタイミングを取って打っていたんですが、当たれば飛ぶが、確率が低く、三振が多かったんです。特に変化球が課題でした。変化球を打つにはどうすればいいかを考えていたとき、イチローが、あの打法でブレイクしていました。『変化球に対応するには、あの打法がええんちゃうの?』と物マネで始めたのがきっかけです」