井伊直弼はミスで弱音を吐く、案外人間らしい人? 京都に残る史料から見える人柄
しかし、木俣家本の記述は違った。
◇ 宇津木 「諸大名に相談してから命令されたのなら良いのですが…。そうでなければ世間に批判が生じ、天皇にも激怒されますよ」 直弼 「そこに気付けなかったのは残念でならない。こうなったら『大老を辞めます』とお伺いを立てようか」 宇津木 「いや、あなたが辞職すれば徳川将軍までもが責任を問われかねませんよ。国政は幕府に委任されておりますし、朝廷への報告はどうとでもなります。後悔するのはもうやめにして、今後の方策を考えましょう」 ◇
そこに剛毅な直弼はいない。側近にミスを指摘されて慌てふためき、弱音を吐いたところを叱咤[しった]されるという、人間味あふれる姿だ。
井伊さんは1975年に木俣家本の影印本を出版したが、こうした記載の違いを強調して紹介することをしなかった。なぜなら当時は小説やドラマの影響で直弼のイメージが「逆賊」から「英雄」へと刷新されつつあった時代。顕彰活動に熱心な関係者も多く、そうした人たちにあえて冷や水を浴びせることをしたくない気持ちがあった。
発行部数が200部と少なかったこともあり、木俣家本は長らく日の目を見ることはなかった。その存在が知られるようになったのは出版の20年後。彦根城博物館(滋賀県彦根市)で公用方秘録の比較研究が進められることになり、その結果、井伊家から明治政府に提出された写本は意図的に改ざんされたもので、木俣家本こそが公用方秘録の正しい記述を現代に伝える史料と判明した。
余談になるが、彦根出身の井伊さんの旧姓は「中村」でもとは井伊家の家来筋の子孫。彦根藩の研究にのめり込む中で、初代藩主井伊直政の長男を源流とする旧与板藩井伊家の当主と知り合い、2005年に養子入りして名跡を継いだ。
「井伊の歴史にのめり込み、ついには井伊そのものになってしまった」。井伊さんはこう笑いつつ「いつか、英雄でも逆賊でもない、血の通った大老井伊直弼の姿を伝記にまとめたい。それはきっと、自分にしかできない仕事だから」と力を込めた。