三菱 ギャランGTO MR(昭和45/1970年12月発売・A53C型)【昭和の名車・完全版ダイジェスト062】
ダックテールのクーペでギャランのイメージを一変
MRのサスペンションはフロントがストラット、リアはリーフリジッドで、マスターバックとPCV装着のブレーキ(フロントはディスク)を採用した。サスペンションは硬めのセッティングだが、アクセルを踏み込んでいけばパワーオーバーステアを存分に楽しめた。 タイヤは165SR13のラジアル。ギアボックスは5速MTのみで、最高速は200km/h、0→400m加速の16.3秒は「フォーミュラカーの伝説が生んだマニア向きのホットマシン」のコピーに恥じない強烈さであった。 センターコンソールにも油圧計と油温計2つのメーターを配置。8連メーターとしたダッシュボードに、オーバーヘッドコンソールまで装備するドライバーズシート回りは、航空機の操縦席に似ているところから「フライトコクピット」と呼ばれて、精悍なブラックで統一されたインテリアともども、スポーツムードは満点であった。 定員は一応5人乗りだが、リアシートはゆったりしているとはいえず、実質的には2プラス2となっている。 GTOのMIはシングルキャブで100ps、「MⅡ」はSUツインキャブで110psの4G32型SOHCエンジンを搭載したが、こちらもかなりの実力派で、最高速も「MⅠ」で170km/h「、MⅡ」では180km/hをマークし、そのポテンシャルの高さを示した。 そして、この「MⅠ」、「MⅡ」は昭和47(1972)年2月、排気量を100ccアップした1686ccの4G35型に換装して、17Xシリーズに進化。呼称も「MⅠ」は「XⅠ」と改められてシングルキャブで105ps、「M Ⅱ」も「XⅡ」となり、こちらはツインキャブで115psとなった。ただしMRは、1600DOHC、125psの4G32型のままであった。 排出ガス規制対策のための1600から1700へのスケールアップではあったが、トップグレードのDOHCのMRだけが1600のまま残されるというアンバランスな車種構成は、GTOだけでなく、ギャラン・シリーズのリーダー的な存在であった人気モデルであるMRの高性能なイメージをいささか損なう感じがしたことは否めなかった。 昭和48(1973)年1月、GTOシリーズは再び排気量アップが図られ、 4G52型の2Lエンジンに換装されて、ついに1.6LのDOHCエンジンを搭載するMRは退場となった。 ギャランGTO MRの市販期間はわずか2年2カ月で、累計販売台数は約850台だった。スペシャリティカーゆえの高価格設定もあって販売台数は伸び悩んだが、ギャランシリーズのイメージリーダー的役割は十二分に果たし、その後のギャランの高性能イメージにも貢献した。