むしろファンには天国だった!? かつて聞かれた「マツダ地獄」とは一体何だったのか?
「マツダ地獄」とはなんだったのか
かつて「マツダ地獄」という言葉があった。個人的にはカーライフに「地獄」はあり得ず、ロータリーエンジンの好きな人には、マツダ車は最良の選択だ。したがって、原稿執筆などで「マツダ地獄」という言葉を使ったことはないが、世間的には聞かれた。 【画像】かつて経営難のマツダを救った初代デミオの画像を見る この「マツダ地獄」の意味は「蟻地獄」に似ていて、一度マツダ車を買うと、そこから抜け出せなくなることを示していた。具体的には、以前のマツダ車の大幅値引きと売却額の低さだ。マツダ車は値引きが多額で、2000年代の前半には、価格が110万円台の2代目デミオでも25万円前後の値引き販売をしていた。値引き額を引いた実質価格は、80万~90万円に収まる。 価格が230万円くらいの初代アテンザになると、値引き額は40万円を超えることもあった。価格が190万円前後の初代プレマシーでも35万円くらいの値引きだから、実質価格は155万円前後まで下がっていた。 ここまで多額の値引きで販売すると、当然ながら数年後に売却するときの価値は下がる。とくにユーザーにとって辛いのは、マツダからほかのメーカーの車種に乗り替えるときだ。他社で下取りに出すときは、売却額が大幅に安くなってしまった。 そのため、損失を抑えるにはマツダの販売店に下取りに出して、改めてマツダの新車を買うしかない。つまり、マツダ車から逃げられないため、蟻地獄に似た「マツダ地獄」の言葉が生まれたわけだ。 ただし、マツダ車が好きなユーザーには大幅値引きで購入できて、トータルでの出費を安く抑えられた。とくに1996年に発売された初代デミオと2002年の2代目は、視界の良いコンパクトなボディによって運転しやすく、全高は1550mm以下だから立体駐車場も使いやすい。 そのわりに車内も広く、実用性に優れたコンパクトカーであった。このような合理的なデミオを大幅値引きで買えたのだから、実用的な買い得車を乗り継ぎたいユーザーには魅力的であった。決して「地獄」ではなかったはずだ。