2ストロークレーサーレプリカ最後のサラブレット、V型エンジンを積むTZR250R
ヤマハTZR250シリーズは、2ストロークエンジンを搭載したレーサーレプリカがバイクシーンの主役であった時代を象徴するバイクだ。そのTZR250シリーズはフルモデルチェンジのたびに大きくエンジンのレイアウトを変更し、常に最速を求め続けた。そして、その最終形態となった3XV系TZR250Rには、V型エンジンが搭載されていた。 【画像】ヤマハTZR250Rのディテールや関連モデルをギャラリーで見る(32枚) 文/Webikeプラス 後藤秀之
2ストロークエンジンがWGPを制す
小排気量モデルにとって、コストがかさみパワーも出しにくい4ストロークよりも、コストも安くパワーが出しやすい2ストロークエンジンが選ばれるのは自明の理と言えた。WGPにおいても2ストローク500ccが基本であり、ホンダのみ楕円ピストンの4ストロークエンジンを搭載したNR500でのチャレンジを行なっていた。 しかし、ヤマハのYZRとスズキのRGの前にNRは苦戦を強いられ、ホンダは1982年に2ストロークのNS500をWGPに投入した。結果として翌年の1983年にはフレディ・スペンサーがワールドチャンピオンを獲得し、皮肉にも4ストロークにこだわってきたホンダによって「4ストロークよりも2ストロークの方が速い」ということが証明される形になってしまったのである。
2ストロークスポーツバイクの戦国時代が始まる
ヤマハは究極の2ストロークバイクを作るという目標のもと、1980年に水冷2ストロークエンジンを搭載したRZ350/250を発売した。市販レーサーTZの技術を注ぎ込んだRZは、350は45PS、250は35PSと当時としてはダントツの性能を誇った。RZは爆発的に売れ、他メーカーはこのRZをターゲットにスポーツバイクの開発を行なうことになった。 ホンダは1982年にNRの技術を盛り込んだ4ストロークのVT250Fを発売、4ストロークのDOHCV型2気筒4バルブエンジンはRZ250と同じ35PSを発揮した。スズキは1983年に市販車初のアルミ製フレームに45PSの2ストロークエンジンを搭載し、大型のカウルを装着したRG250γを発売した。同1983年にヤマハはRZ250をフルモデルチェンジしたYPVS付きのRZ250Rを発売、フルカウル仕様のRZ250RRもラインナップされた。ホンダもNS500譲りの3気筒2ストロークエンジンを搭載したMVX250Fを発売したが、あまりにも衝撃的なRG250γの影に両車とも隠れることになってしまった。 ホンダは翌年に新設計のレーサーRS250Rと同時開発されたというV型2気筒エンジンをアルミフレームに搭載し、フルカウルを装着したNS250Rを1984年に発売。同じ1984年にはカワサキからも、アルミフレームにタンデムツインというワークスレーサー譲りのタンデムツインレイアウトのエンジンを搭載したKR250が登場。ヤマハはTZ250から受け継ぐデルタボックスフレームに並列2気筒エンジンを搭載したTZR250を1985年に発売した。こうして各メーカーからWGPレプリカと呼べるバイクが出揃い、レーサーリプリカブームが巻き起こったのである。