「親方、ボブ・サップと戦って欲しいんです」大晦日K-1参戦を持ちかけられた曙。その意外な反応
「ボブ・サップと戦って欲しいんです」
驚きの声をあげる曙に「今、ちょっと外に出てこられます?」と谷川が水を向けると「いいですよ」と言って電話を切った。谷川が電信柱の陰から様子を窺っていると、1分もしないうちに「のそーっ」と肌寒い早朝の歩道に巨体が現れた。 「親方、こっちこっち」 谷川が子供のように手招きすると、曙は声の方向に巨体を向けて「谷川さん、本当に来たんですか」と笑顔を見せた。谷川は電信柱の陰に引きずり込んだが、曙の巨体は半分も隠れてはいなかった。 「突然すみません。こんな朝早くに」 「谷川さん、一体どうしたんですか、何があったんですか」 改めて問う曙に対し「この人、デカいなあ」と見上げながら、直截に切り出した。 「親方、大晦日、K-1に出て欲しいんです。ボブ・サップと戦って欲しいんです」 谷川は「ついに言えた」と心の中で快哉を叫んだ。ここで「ふざけるな」と一発喰らわされても悔いはなかった。もしくは「冗談はやめて下さいよ」と笑われて相手にされないかもしれない。見た感じの雰囲気から、後者の可能性が高いように感じた。 しかし、曙が見せた反応は、そのどちらでもなかった。 「ボブ・サップかあ……」 そう洩らすと、電信柱を軽く殴り始めたのである。谷川は腰を抜かしそうになった。 すかさず、一枚の封筒を手渡した。 「何ですか」 「契約書です」 曙は封筒の中の紙を取り出して、眼を動かし始めた。 「条件を書いています。今すぐ返事が欲しいわけではないです。これを見て考えて欲しい」 さらに、こう付け加えた。 「今夜、博多駅前のお店を予約しています。お店の場所も入れておきます。もし、少しでも興味があれば話を聞きに来て下さい」 それだけ言うと、谷川は立ち去った。 「このときは『とにかく、やるべきことはやった』っていう気持ち。契約書には契約金とファイトマネーの金額も書いておいたから、話にならないようなら来ないでしょう。ただ『曙は店に来るはず』という確信はあった。電信柱を殴り始めるのを見たら『間違いなく来る』って思ったわけ」(谷川貞治) 「ところで、契約金とファイトマネーはいくらだったんですか」と筆者が くと「守秘義務があるから具体的な数字は言えない」としながら「いやいや、億は行ってない。どっちも数千万。5000万? いや、もう少し上」とだけ答えた。 ともかく、曙本人に直談判した谷川貞治は、立ち去ったと見せかけて、5分後に稽古場の地点に戻った。再度、曙の様子を探るためである。大きなガラス窓から中の様子を探ると、パイプ椅子に腰かけた曙は、指導そっちのけで契約書に眼を落としていた。 「今夜、曙は店に来る」と谷川は確信した。
細田 昌志(総合作家)