妖怪たちはなぜ江戸時代に大量発生したのか?―香川 雅信『妖怪を名づける: 鬼魅の名は』
◆妖怪の「カンブリア爆発」──プロローグ ポケットモンスター──いわゆる「ポケモン」が、日本発のコンテンツとして世界的な人気を博していることは論をまたないだろう。 ピカチュウ、ヒトカゲ、ゼニガメといったさまざまな能力・特徴を持った架空の生き物「ポケットモンスター(ポケモン)」が存在している世界を巡りながら、ポケモンを一体ずつ捕獲(ゲット)していき、さらに他のプレイヤーとバトルやポケモンの交換を繰り返しつつ、最終的にはすべてのポケモンを集めて「ポケモン図鑑」の完成を目指す。開発者が幼いころに夢中になった昆虫採集や小動物とのふれあいなどを反映したというこのゲームは、子どもたちの心をつかみ、日本ばかりか世界中で人気を博した。少し前には、AR(拡張現実)の技術を応用し、実際に町のなかを歩き回りながらあちこちに潜むポケモンをゲットしていくスマホゲーム「ポケモンGO」が大きな話題になり、運転中にプレイしていたドライバーによる交通事故など、さまざまな問題が起きたことを記憶している方も多いだろう。 この「ポケモン」の源泉の一つが、日本古来の妖怪であることは、しばしば指摘されている。「ポケモン」のなかには、「キュウコン」や「ダーテング」「ルンパッパ」など、明らかに妖怪(「九尾の狐(きゅうびのきつね)」「天狗(てんぐ)」「河童(かっぱ」)にルーツを持つものがあり、さまざまな名前や姿かたちを備えたものが存在するというあり方自体が、かつての妖怪のそれを踏まえたものだと推測することができるからである。ちなみに、香港でのポケモンの呼称は「寵物小精霊」、つまり「ペット精霊」であり、日本の「妖怪」によりニュアンスが近くなっている。 さかのぼってみれば、1970年代には子ども向けの「妖怪図鑑」が数多く出版されていた。それらは「ポケモン」以前の「ポケモン体験」として、かつての日本の子どもたちの胸を躍らせたものだった。なかでも水木しげるの『妖怪なんでも入門』(小学館、1974年)は、妖怪図鑑の「決定版」として当時の子どもたちの──つまり、その後の日本人の妖怪観を決定するに至った書物であった。 こうした「妖怪図鑑」に象徴される妖怪のあり方──さまざまな呼び名や姿かたちを持った多様な妖怪が存在していることが、日本の妖怪の特徴であるという物言いがしばしば聞かれる。例えば各文化における怪異の表現を比較研究する「怪異の人類学」を提唱した安井眞奈美は、このように怪異現象を差異化し、一つ一つ名前をつけて表現することが日本文化の特徴であると述べている〔安井 2015〕。 日本民俗学の父、柳田國男(やなぎたくにお)が昭和31年(1956)に刊行した著作『妖怪談義』には、妖怪の名前とその事例を紹介した「妖怪名彙」という一種「妖怪辞典」的な文章が掲載されている。ここには、「コナキジジ」「スナカケババ」「ヌリカベ」「イッタンモメン」など、のちに水木しげるが姿かたちを与えてみずからの作品のキャラクターとして登場させ、有名になった妖怪が数多く紹介されている。実は先ほど挙げた『妖怪なんでも入門』にも、「妖怪名彙」のなかで紹介された妖怪が数多く描かれているのである。この柳田の「妖怪名彙」、そして水木しげるの『妖怪なんでも入門』を見ると、日本にはなんと多くの種類の妖怪が伝承されているのか、と感心せずにはいられないだろう。 しかし、少し歴史をさかのぼってみると、妖怪にさまざまな名前がつけられ、数多くの種類が存在すると考えられるようになったのは、そう古いことではないことがわかる。 小松和彦は、日本の妖怪の種類が多いのは、さまざまな「妖怪現象」ごとに名前がつけられていったためであったが、それは江戸時代の妖怪思想の特徴であったと述べている。そしてそれ以前、すなわち古代・中世の人びとは、さまざまな「妖怪現象」を鬼や天狗、狐、狸といった、限られた「妖怪存在」の所有する神秘的力の発現・活動として理解しようとしていたことを指摘している〔小松 1990〕。 本書で詳しく検討することになるが、この小松の指摘はまさに正鵠を射ている。中世までは、人知を超えたさまざまな怪異をひき起こす存在は、ごく限られたものしか想定されていなかった。それが江戸時代、17世紀に至って、さまざまな怪異に個別の名称が与えられ、妖怪の種類は急速に増えはじめる。あたかも古生物学で言う「カンブリア爆発」(古生代カンブリア紀に生物の種類が爆発的に増加した現象)のように。これを私は「江戸の妖怪爆発」と呼んでみたい。 私は、2005年に刊行した拙著『江戸の妖怪革命』で、18世紀後半に都市で生まれた「博物学的思考/嗜好」の広がりのなかで「妖怪図鑑」が生み出されたことを明らかにした。「博物学的思考/嗜好」とは、さまざまなモノや情報を収集し、分類・配列し、目に見える形で列挙するという思考、そして欲望のあり方である。つまりそうした思考/嗜好のあり方が、妖怪を「数多くの種類が存在するもの」として可視的に提示する「妖怪図鑑」を生み出したのである。これは妖怪をキャラクター的なものととらえる現在の妖怪観にもつながっている。 ただ、ヴィジュアル的なものと結びついていくのは18世紀以降なのだが、それ以前の17世紀において、すでに妖怪には数多くの種類が見られるようになっていたのである。その背景には、妖怪に対するどのような認識の変容が存在したのだろうか。この問題に関する詳細な研究はほとんどないと言ってよいが、本書ではそれについていくつかの仮説を提示してみたいと思う。 なお、「妖怪」という言葉は近代以降に人口に膾炙(かいしゃ)した語彙であるが(江戸時代はもっぱら「化物(ばけもの)」という言葉が用いられた)、本書では各時代でさまざまに呼ばれてきた怪異の主体(エージェント)を通時的な分析の対象とするための作業仮説的な概念として用いることにしたい。具体的には、日常的な理解を超えた現象で、かつ神仏の奇瑞(きずい)のような好ましいものとは異なる現象(怪異)のエージェントとして想定された存在を指し示す語として「妖怪」を用いることとする。 [書き手] 香川 雅信(かがわ まさのぶ・兵庫県立歴史博物館学芸課長) [書籍情報]『妖怪を名づける: 鬼魅の名は』 著者:香川 雅信 / 出版社:吉川弘文館 / 発売日:2024年08月21日 / ISBN:4642306072
吉川弘文館
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