タブーとらわれず読者目線 特ダネ追い続けた半世紀 葛藤の中「扇情主義」に一線 夕刊フジプレイバック
55年間の夕刊フジ史上、最も売れたのは平成7年5月16日の『オウム麻原彰晃逮捕』である。夕刊即売紙は《売れてなんぼ》の世界。編集方針も「読者の視線で」「タブーにとらわれない」と打ち出したが、一方でいたずらにセンセーショナリズムに走ることを何よりも嫌ったという。そこが「夕刊フジは他の夕刊紙とは違う」といわれるゆえんである。その葛藤の一部を見てみよう。 【ランキング】夕刊フジ 歴代売り上げ上位10+α ■受け継がれる精神 夕刊フジには《伝説》となっているこんな話がある。 創刊直前(昭和44年1月)のこと。ある超人気タレントの仰天スキャンダルをつかんだ。裏もとれた。この話を創刊早々に掲載すれば世間は騒然となり「夕刊フジ」の名前は一気に全国区になる。編集室はわいた。だが、報道責任者の山路昭平はこのスクープを没にしたのだ。 「確かに大スクープだ。けれど、これを載せれば『ああ、夕刊フジというのはそういう新聞か』とスキャンダル新聞のイメージが定着してしまう。オレたちが目指している新聞じゃないだろう」 翌45年11月25日、「三島事件」が起こった。作家の三島由紀夫が自ら主宰する「楯の会」の若者たちと、自衛隊市ケ谷駐屯地に乗り込みクーデターを呼びかけ、聞き入れられぬと分かると割腹自殺。センセーショナルな事件である。 夕刊フジは『〝三島の幻影〟追うまじ』と見出しをつけて報じた。1面の原稿を山路自らが書いた。記事の一部をご紹介しよう。 「三島由紀夫の死は、いったい何のためだったのか。(中略)ある人は〝独自の美意識の結末〟という。だが、その美意識はわれわれにはかかわりないものである。(中略)その文学はたしかにすぐれたものだった。だが、それに目を奪われて、〝狂気の行動〟を美化してはならないと思う」 これが55年間、脈々と受け継がれてきた「夕刊フジ」の精神なのだろう。 ■特ダネを赤電話で 昭和50年7月17日、皇太子ご夫妻(現・上皇ご夫妻)が沖縄県の「沖縄海洋博」の開会式に出席される前に、糸満市にある「ひめゆりの塔」を訪問された。 そのときである。突然、碑の前の地下壕跡からヘルメット姿の男が現れ、献花台に向けて火炎瓶を投げつけた。この「ひめゆりの塔事件」をなんと夕刊フジがスクープしたのだ。