“無観客の都知事選” 17日間を振り返る
今回の都知事選に見る特徴
今回の2020都知事選は異常なコロナ禍の中で有権者は危機管理の面から現都政の「継続」を最優先したように思われる。にしても選挙戦の内容が希薄だった印象があるのはなぜか。 言うまでもなく1つは、新型コロナウイルスが猛威を振るう最中の選挙であり、有権者の関心事がコロナ対策以外に向きにくかったこと。もう1つは候補者らによる討論会などの場が少なく、有権者が各候補の主張に耳を傾ける機会が限られたこと。さらに、首都決戦と言いながら、政権与党の自民が対立候補を擁立せず、早々に戦場から消えていったことだ。 4年前に小池と激しく争った自民はどこへ消えたのか。そもそも2期目に挑む現職は強い。4年間の在職中が「選挙運動」という性格も持ち、知名度の浸透度は高い。ビッグネームを有し、一定以上の組織力、資金力を持つ党が候補者を擁立しない限り、なかなか現職に太刀打ちできない。都政史上例のない自民が自前の候補者を擁立しないという形にした結果、選挙の構図が「1強多弱」になり、選挙民から関心を奪うことになった。 これらの経緯から、今回の都知事選は“争点なき選挙”に堕し、目先のコロナ禍対策と延期後の東京五輪をめぐる話題に集約されてしまった。 都知事の任期は4年ある。勝ち負けだけが選挙の意義ではなく、政策選択の機会を有権者に与えるのが選挙の本質だ。その点、首都決戦にもかかわらず、与野党とも主要候補を擁立し、しっかりした公約を準備して戦いに挑むという、政党の役割を放棄した。50億円かけた日本最大の地方選挙も、“消化試合”のようなものになってしまった。 “誰を選ぶ”もさることながら、“何を選ぶ”という政策選択の機会を有権者から奪った主要政党の罪は重い。例えば、自民が丸川珠代参院議員、立憲民主が蓮舫参院議員といった東京を地盤とする“大物“を擁立していたらどうなっていただろうか。
人気投票から原点回帰を
戦後70年余、都知事選は今回で21回目だが、ここ二十数年は国会議員(政治家)出身が都知事に就くようになってきた。1995年4月の青島幸男都知事誕生以降、猪瀬直樹を除き、石原慎太郎、舛添要一、そして現在の小池まで長年国会におり自民党総裁選に出るなどしたベテラン議員が都政に転じるようになった。それ以前、1947年から95年までは安井誠一郎(官僚)、東龍太郎(学者)、美濃部亮吉(学者)、鈴木俊一(官僚)と学者、官僚が都知事キャリアの定番だった。政治家出身が都知事になるようになって都政が政治ショーの場に変質してきていないか、筆者には違和感を禁じえないところがある。 東京には有権者が1000万人以上いるのだから、候補者と直に触れて人柄を知る機会は限られている。だから、どうしても国会議員のベテランやテレビで有名なタレントなどが候補となり、政策より知名度で選びがちになるが、そろそろ都政本来の中身が論争になるような選挙に回帰できないか、そこが都知事選の今後の課題だろう。