大学日本一から一転、不遇の3年間。“拾われたエース”石井宗人がポルセイド浜田で描く逆転劇「このクラブでF1に上がったら、面白い」|フットサル
守備から“ピヴォ”への抜擢で開花した才能
──大学4年間はいかがでしたか? 一言で言えば、楽しかったです。フットサルの練習や試合ももちろん充実していましたが、大学にフットサル専用アリーナがあったので、練習後に学年関係なくみんなで残ってボールを蹴って、ワイワイしていた思い出があります。 ──大学3年生の時に日本一を経験していますが、印象に残っていることはありますか? 僕らが3年生になる時に、練習メニューを選手たちで考えるようになりました。曜日ごとに担当を決めて、選手が組んだ練習メニューに監督がサポートで入る形で取り組んだことが印象に残っています。 例えば、守備の練習をする時にはフィクソの選手を中心にメニューを考えて、うちの弱点とか強みを自分たちなりに分析しながら練習を作成していました。そのお陰で、判断力や考える力が身についたと思います。 ──それは全国制覇という結果にも結びついたと思いますか? そうですね。それまでは監督がガチガチに指示を出すことが多かったのですが、選手たちで考えるようになってからは「相手の特徴がこうだから、うちはこうしよう」といった試合中の判断が自然とできるようになったと思います。 初めから監督の意見を待つのと、まず自主的に考えて判断するのでは、大きな差が出るのかなと思います。試合中に劣勢になった時、監督が外から見ていて気がつくことももちろんありますが、ピッチ内でプレーしている選手のほうが気づくことは多いです。そこで自ら判断できる選手であることは大切だと思います。 ──そのほかに、個人的として大学4年間で変化したことはありますか? 僕は、高校までは守備的な選手で、フットサルを始めた時も実はアラとフィクソでした。ただ先輩に「ピヴォやってみ」と言われて、やってみたら攻撃が楽しくなってハマりました(笑)。点を取るのって楽しいんやな、意外と自分も攻撃できるんやなというのは気づきでしたね。 ──攻撃の選手になったのはフットサルからなのですね! そうなんです。元々中学の時のチームが相手との駆け引きを大事にしていて、ボールのもらい方や相手の逆を突くプレーを、ずっと叩き込まれてきました。ピヴォをした時にも、他の選手に比べて、いろいろな受け方をできたことが強みになったと思います。 ──高校の時にうまいと感じていた南雲選手や安井選手と一緒のチームになっていかがでしたか? やっぱりうまかったですね。同じセットで一緒に出ることが多かったので、攻撃の時はマークを外せば絶対にボールがくる。そのあとのサポートもめちゃめちゃうまかったですし、彼らから学んだことは多いです。 南雲が今年初めて代表に選出されたこともすごくうれしいです。でも、自分も負けられないなと思います。