あのケネディ米大統領に「フランスが世界一」と認めさせた男がいた!~ルーヴル美術館・ブランディング秘話
「世界一の大国でも買えないもの」を見せつける
ところで、《モナリザ》の米国への貸し出しについては、当時の米仏間の政治的緊張を文化外交によって緩和する目的があった、という政治的解釈がある。先述のとおり、フランスは強気のド・ゴール政権下で独自の核戦略路線を貫き、アメリカとイギリスとの間で摩擦を引き起こしていた。この緊張を和らげるために、要するにケネディの「ご機嫌取り」のために《モナリザ》をアメリカに差し出したとする解釈である。 同様の政治的解釈は、一九七四年の《モナリザ》来日についても言及されることがある。前年にフランスからの濃縮ウラン購入を受け入れた日本への返礼として、東京での《モナリザ》展が実現したというものである。 いずれも核戦略をめぐる政治外交のなかでルーヴルの至宝が利用されたとする興味深い解釈であるが、文化外交によって、政治的局面が易々と変わるものではない。《モナリザ》の渡米が真に政治目的だったなら、ド・ゴールがアメリカに渡っていたことだろう。 マルローにしても、短期的な政治的成果を求めて、《モナリザ》のエスコートに名乗りを上げたとは考えられない(《モナリザ》の渡米や来日を政治的交渉の返礼とする解釈は、ルーヴルの傑作それ自体が秘めた文化政治力を過少評価していると声を大にして言いたい)。 フランス文化を代表するルーヴルの名品(および文化大臣)とアメリカの大統領が一枚の写真に収まったということ、ただそれだけでフランスにとっては十分な成果であり、それこそがここではなにより重要なのだ。「フランスの文化」と「アメリカの政治」がここで対等に手を取り結んでいるのだから。 アメリカでの《モナリザ》展は、様々な角度から動画や写真に収められて世界中に報道された。うやうやしく《モナリザ》と接するマルローとアメリカ大統領夫妻、あるいは《モナリザ》を初めて目の前にしたアメリカの観衆の喜びと感動を表す写真である。 これらの写真が伝えるメッセージは、おおよそこんなものだろう。二十世紀、アメリカ合衆国は世界随一の経済力と軍事力を備えるに至った。しかし、フランスには、そのアメリカがいくらお金を出しても手に入れることができない至宝がある。それが《モナリザ》であり、ルーヴル美術館である。 じっさい、ケネディ大統領は、《モナリザ》歓迎のレセプション演説において、あたかもマルローの願いを叶えるかのように、「フランスは世界第一の芸術の国だ」と讃えている。