あのケネディ米大統領に「フランスが世界一」と認めさせた男がいた!~ルーヴル美術館・ブランディング秘話
芸術文化への「愛」ではない
フランス政府は「芸術文化勲章」制度を創設し、フランス文化振興に貢献した外国人を顕彰することにしているが、マルローはこれを連発し、「フランスかぶれ」の文化人をフランスへと引き込んでいった。また、1967年には「世界にパリ、フランスの音楽的威信を輝かせること」を目的に、パリ管弦楽団を結成させている。いずれも、具体的な文化振興策というよりも、情報優先の「イメージ戦略」である。 マルローの使命が「偉大なフランス」の復活というイメージ戦略であったと考えるならば、《モナリザ》の渡米の意味とそのルーヴルのブランディングとの関連も透けてみえるだろう。 戦後のフランスにおいて、文化は、政治家によって国策に利用される政治的かつ経済的ツールとなっていた(その経緯とそこでマルローが果たした役回りについては、本記事では割愛した。詳しくは『ルーヴル美術館』をご覧いただきたい)。フランスは諸外国に比して、桁違いの予算を文化に投入して「文化国家」の称号を手に入れたが、それは、芸術文化を心底愛して信頼しているからではなく、政治経済の観点から活用価値が大きいと考えているからなのである。 マルローは大臣就任前の1952年に受けたインタビューにおいて、「もし、あなた〔マルロー〕が大臣となるとしたら、真っ先に何を実行するか」と尋ねられた際、シンプルにこう答える。「ルーヴルを世界一の美術館に仕立てあげることでしょう」、と。 「ルーヴルを世界一の美術館に」するためにマルローが実行したことのひとつが、《モナリザ》の渡米であった。 主部と述部の落差が大きいと思われるかもしれないが、《モナリザ》の渡米とそこで撮影された写真の数々は、ルーヴルのブランディングにとって、想像を超える「大事件」となったといわねばならない。先ほど紹介したマルローと《モナリザ》の写真を手掛かりに、その大きなインパクトと政治的な意味について考察してゆこう。