驚くほど無策な新聞業界と、報道を捨てたテレビ情報番組に思う…新聞・テレビが「マスメディア」でなくなる日
(西田 亮介:日本大学危機管理学部教授、社会学者) ■ ぼんやり見始めた『羽鳥慎一 モーニングショー』 【写真】2024年米大統領選でのCNNテレビ討論会の様子。日本でもリアルタイム・ファクトチェックが見られる日は来るのか 選挙前後は久しぶりにかなり忙しかった。一日いくつもの取材やコメント取り、メディア出演を受け、新聞の受け止め原稿を用意した。 筆者のように政治とメディアの研究を専門にしながら、政策全般について、選挙についてもそれなりに詳しいが、しかし政治学者ではなく社会学者であり、現代政治の評論やコメンテーターも生業とするといういまでは流石に日本のメディアでも絶滅危惧種だが、それでもお座敷がかかるというのは有り難いというほかない。 結局は「お座敷がかかってなんぼ」だからである。 首班指名も終わって第2次石破政権が発足し、およそ30年ぶりに予算委員会委員長を野党議員が獲得したことに代表されるように17の常任委員会の代表ポストのうち8つを野党に割り振り、大躍進著しい国民民主党でスキャンダルが露呈し、「103万円の壁」問題が物議を醸し出すなど、日本政界は嵐の前の静けさとはいかず、すでに来年の通常国会を控えて前哨戦の模様である。 しかし自分の身でいえば、数週間ぶりに平穏が帰ってきたというところである。むろん学期の最中なので大学の授業はある。だがそれらは大学教員にとって、当然かつ最低限の予定された仕事に過ぎない。 そんなわけで、今週のある朝、ぼんやりとしたまま、地上波をつけ朝刊を眺めたり、メールを返信したりしながら授業の準備をしていた。繁忙期以外はよくあることといえる。なんとなく地上波をつけておくことで、「最近の地上波の雰囲気」を見ているのである。 流れていたのはテレビ朝日系『羽鳥慎一 モーニングショー』。テーマは「103万円の壁」のようだ。
■ いったい誰の、なんのための情報番組か チラと見てみると、パネルはそれなりにわかりやすくできているものの、ゲスト専門家を除くと、玉川徹らレギュラーコメンテーターたちは現状の所得税の控除と社会保険料の被扶養者などを混同するなど、あまり正確ともいえない「自説」をやたら早口で開陳しているが、最初からよほど一生懸命見ているような場合を除いて内容はほとんど視聴者の記憶に残らないだろう。 むろん誰しもが知るように、昔からこういう番組だった。それどころかそれこそがウリともいえるし、教養番組の週間視聴率ランキング上位番組の常連であり、時間帯ではトップ争いを常に繰り広げている。 番組内のコーナーは変わったし、コメンテーターや進行する放送局のアナウンサーも変わっているが、羽鳥慎一が2015年に引き継いだのがもっとも大きな変化だったのではないか。 十年一日のごとくである。 何も当該番組に限らない。最近はTBS系『ラヴィット!』のようにそもそも「ニュースなし」を堂々と掲げる「情報番組」さえ登場している。「日々の買い物や食事、住まい、お出かけ情報など、暮らしが10倍楽しくなるきっかけ」を提供しているのだという。 放送法で規律されるとはいえ、放送事業が民業であることから、各事業者が好きにすればよいのだが、いったい誰のために、なんのために放送しているのだろうか。 伝統的なマスメディアは日増しにマス性が自明でなくなるとともに、実質的にパーソナルな媒体になっている。もっともわかりやすいのがかつての代表的マスメディアであったラジオであろう。