「“警察官の子供が殺人犯”と出てほしくないんや」警官の父が“隠蔽した”兵庫・岡山女児連続刺殺犯の素顔《余罪100件》
飛松氏のメモ〈犯人の可能性は大である〉
そしてもう一つは冒頭の飛松氏が、勝田の両親への聞き取りを重ねて作成したメモだ。このメモの中では、加古川市の事件と勝田の関連についてこう書き記されている。 〈「犯行をしていない確実なもの」がなく状況的(ママ)から犯人の可能性は大である〉 ◇
嘘ばかりついて威張っていた小学生時代
1978年12月、勝田は兵庫県警の警察官である父と、同県警の職員だった母との間に生を受けた。父が40代半ばの時に生まれた子で10歳以上年の離れた姉を含めた4人暮らし。小中学校の同級生が語る。 「小学生のころから『自分の親は警官で、お金持ちで、すごく恵まれているんだ』とか『自分は英語を勉強させてもらっていて、お前たちより優れている』とか言って同級生たちに横柄な態度を取っていた。でも、実際には成績は悪く、英語も『ハロー』ぐらいしか言えない。嘘ばかりついて威張っていたので、クラス中から浮いていました」 小学校の卒業アルバムには、「この1年間をふりかえって」と題する作文も掲載。あどけない文字や文体で修学旅行の思い出を記し、〈今度は中学生になるんだからもっともっといろんなことを経けんして、いろんなことを学んでいきたい〉と胸膨らませていたが、中学生活はあまり明るいものにはならなかった。 「小学生のときと同じ調子で嘘の自慢話を重ねていた。中学2年までは所属する水泳部の仲間が同じクラスだったので居場所はあったが、中3のクラス替えで仲間と離れてからは同級生から無視されるようになった。すると勝田は周りに『お前ら殺してやる』とか言うようになり、さらに反感を買った。どつかれたりしていましたね。本人は過去の裁判などで『いじめに遭っていた』と言っているようですが、原因は彼自身にあるんですよ」(同前) 別の同級生が明かす。 「中学3年の時は、勝田くんは誰とも喋らず、自分の世界に浸って、黙々と授業を受けたり部活をしていました。話しかけたら言葉数がめちゃくちゃ少なく、会話にならなかった。勝田くんの自分の意見や意志を、中3の1年間で全く感じられなかった」