「“警察官の子供が殺人犯”と出てほしくないんや」警官の父が“隠蔽した”兵庫・岡山女児連続刺殺犯の素顔《余罪100件》
「部屋からごっつい匂いがする」
鬱屈した思春期を過ごしていた勝田。持て余した負の感情は家族にも打ち明けることができず、次第に学校以外の時間は自室にこもりがちになった。その中で、ある行為を覚えた。 「自分の腹を刃物で刺す自傷行為です。最初は家にあった彫刻刀で、次第に千枚通しやクラフトナイフで刺すようになった。16年の裁判では『血が出てくるのを見ると落ち着いた』と証言。腕などではなく、ひたすら自らの腹を刺した理由は『(衣服で)隠せるから』でした」(司法担当記者) 県内の私立高校に進学すると、その行為はエスカレートする。 「人間関係などでストレスを感じるたびに、自傷行為によって自分のワイシャツが血で赤く染まっていく様子を見ながら自慰行為に耽るようになった。それだけではなく、当時はまっていたアニメに登場する美少女キャラがお腹から血を流している姿を想像し、それをオカズに自慰行為に及ぶようにもなっていた」(同前) この頃にはすでに自傷行為の回数は100を超え、数え切れなくなっていたという。実家の自室には、精液の臭いが充満していた。後に勝田の母親は、飛松氏の聞き取りにこう明かした。 「ドア開けてないのに、部屋からごっつい匂いがするんや。栗の花の匂いやねん……ごっつ臭いんや」
9~13歳の少女への暴力行為で逮捕
小学校の卒業アルバムには戦闘機や戦艦の絵を寄せていた勝田。高校卒業後はそんな無邪気な憧れからか、海上自衛隊に入隊したが、集団生活に馴染めずわずか数カ月で退職。そして20歳を超えたころから、少女への暴力行為が始まる。 「1999年~2000年にかけて、兵庫県西部の各地で、当時9~13歳の少女の腹を殴ったり下着に手を入れたりといった行為をし、うち6件が裏付けられ逮捕された。法廷では『本当は刺したかったが、刺したら罪が重くなると思い殴ることで我慢していた』と供述。その年代を狙った理由は『女子高生以上だと抵抗されるが、中学生は力が弱いので抵抗されないと思った。もっと年下だとかわいそうだと思った』と答えました」(前出・司法担当記者) この時は執行猶予判決を受け、勝田は大阪のカントリークラブや関西空港の職員、派遣の警備員や現金輸送ドライバーなど職を転々とする。そして04年、岡山県津山市で女児を殺害。しかしこの事件はその後14年間にわたって解決せず、勝田は野放しのまま、06年と07年にそれぞれたつの市で殺人未遂事件、加古川市で殺人事件が起きた。 「勝田はその後、09年にまたも女児の腹を殴るなどしたとして逮捕、実刑判決を受けて服役し、刑務所で性犯罪防止プログラムを受けましたが、これについて後の裁判で『内容は忘れた。意味はないと思った』と述べています」(同前)