帰省中に能登半島地震で被災―。孤立した古里で、つながりを感じた6日間 来春から社会人の22歳「経験を生かしたい」
青山学院大4年の中山莉子(なかやま・りこ)さん(22)=埼玉県戸田市=は、2024年1月1日、帰省していた石川県輪島市町野町の実家で能登半島地震に襲われた。雨が降るように落ちてきた皿の割れる音、叫ぶ父の声―。古里の町並みは壊れてしまった。一方で、苦しいときだからこそ、家族の大切さや地域の人々とのつながりも実感した。来春からは大手自動車会社で、社会人として新たな一歩を踏み出す。「被災の経験を今後の自分に生かしていきたい」。県外へ逃れるまでの6日間を振り返った。(共同通信=日向一宇) 【写真】能登を一歩離れると「普通」に暮らせることに、気持ちが追い付かない… 自分だけ家族を置いて戻ってきたことに罪悪感が 現地出身記者が思い返した、美しい風景と〝語り部〟の言葉
▽跳ねる座卓、倒れたピアノ 輪島市東部の町野町。実家の2階で、同じく東京から帰郷していた社会人の姉とテレビを見てくつろいでいると、強い揺れを感じた。近年は地震が続いていたが「いつもとは様子が違う」。慌てて父ら家族がいる1階の居間へ駆け込んだ直後の午後4時10分ごろ、震度7の激しい震動が体を突き抜けた。父も単身赴任から帰省中。食事にも使う大きな座卓の下に身を隠したが、飛んでいくように跳ねるため、脚を押さえつけながらしがみついた。 窓ガラスがはじけ、天井にたたきつけられた電灯が砕ける。重いはずのピアノが簡単に倒れ、買い物から戻ったばかりの母は、開けようとした居間のドアのノブをつかんでいないと立っていられなかった。 カウンターキッチンにいた祖母は、倒れてきた食器棚や電子レンジで出入り口をふさがれ、しゃがみ込んだ体に皿などが降り注ぐ。気遣う父も「終わってくれ」「家がつぶれる」と叫ぶことしかできない。莉子さんは「大きな揺れが2回連続して起きたように感じた。数分程度のはずなのに、ものすごく長く感じた。パニックで頭の中が真っ白。もうだめだと思った」と恐怖を語った。 ▽下敷きになった祖父、焦る津波避難
揺れが収まり、カウンター越しに体を引き上げた祖母に大きなけががなかったが、祖父がいない。外へ飛び出して周囲を捜しても、返事がない。以前に住んでいた近くの空き家へ向かってみると、途中にある木造の雑貨店が道路に覆いかぶさるように倒壊している。下に人がいると教えられ、大声で「おじいちゃん」と呼びかけると、「おーい」と祖父の声がした。のぞき込んだわずかなすき間からは、柱や壁の下敷きになった上半身が見える。父らと素手でがれきを取り除いて引きずり出した。幸い、けがは擦り傷や頭にたんこぶができた程度で済んだ。 家族全員の無事に安堵しながらも、頭から離れなかったのは津波だった。実家は海岸から車で10分ほどの海抜約10メートルで、記憶に残るのは東日本大震災の映像。スマートフォンの電波はつながらず、警報などの防災情報も把握できない。家屋倒壊や土砂崩れにも巻き込まれないよう、棚田が広がる高台に逃げなければと車2台に分乗したが、途中の橋と道路の境目に大きな段差ができていて乗り越えられない。学校の避難訓練で行っていた神社がある別の高台への道は、倒壊した家屋でふさがれていた。液状化なのか、根元から地面に沈み込んだ電柱も見えた。 ▽暗闇でおせち料理を分け合った