101歳のラーメン店員!週6回厨房に立つ「ふくさん」に会いに、全世界から客が訪れる理由
ふくさんに会いに全世界から客が集まる
高崎市から訪れた70代の男性客は語る。 「昨夜、テレビにふくさんが出ているのを見て、今日さっそく妻と来ました。醤油ラーメンを頼んだけれど、あっさり味で美味しいね。どこか懐かしさもあって」 会計を終えた男性が握手を求めると、ふくさんは笑顔で応じていた。照れ笑いしながら、ふくさんは語る。 「この店を始めて、気がついたら60年。私も100歳を超えてテレビや雑誌に追いかけ回されるようになっちゃって(笑)。人生って過ぎてみないとわからないものね」(ふくさん、以下「」も) ふくさんが暮らす鬼石(おにし)地域(旧鬼石町)は、高齢化と人口減少が深刻な課題となっている。2006年に藤岡市と合併した際には7000人程度だった人口は、いまや4600人ほどに減った。10年後には3000人台になると見込まれている。 「商店街はシャッター通りで、かろうじて飲食店が何軒か残っているだけ。学校も生徒がめっきり減りましたね」 そんな中でも今や銀華亭には常連客だけでなく、テレビや雑誌、YouTubeやTikTokなどを見て、ふくさんに会いに来る人が大勢いるという。 「最近では海外からも来店があり、ドイツ、スウェーデン、台湾、タイなどから訪れる人もいるんですよ」(息子で店主の俊二さん) 以前、来店したドイツ人カップルはSNSでふくさんのことを知り、来日するとその足で成田空港から銀華亭に直行してきた。また、日本在住のモンゴル人客からは母国でふくさんが“バズっている”ことを聞いたという。 101歳でもバリバリと働くその姿に勇気づけられる客は多い。そして健康と長寿にあやかりたい、と全世界からファンが訪れるのだ。 しかし、いい時ばかりではなかった。101年の歩みは「山あり谷あり」と話し、ふくさんは笑う。
結婚しようにも男がいない
「若い頃は映画が大好きで、東京までひとりで観に行くような娘でした」(ふくさん、以下「」も) 淀みない口調で、ふくさんは語る。 大正12(1923)年、関東大震災が起きたこの年、ふくさんは群馬県で生まれた。 昭和14(1939)年に女学校を卒業するが、その2年前に日中戦争が始まり、若い男性は次々と出征していた。 「私が結婚したのは20歳を超えてからだったので、息子から『昔の人はみんな早くに結婚するんじゃないの』と聞かれたことがあります。あの時代、男はみんな兵隊に行っちゃいましたからね。昔は女の人は学校を卒業したら、お茶やお花を習って、良縁を待つのが一般的だったけど、結婚しようにも戦争で相手がいない(笑)。 家でぶらぶらしても仕方ないので、母の紹介で地元のバス会社に就職したんです。でも私は、そろばんもできないし、社長さんからは『偉いもんが来ちゃった』思われたらしい」 そう言って茶目っ気たっぷりの笑顔を向けた。 「戦中、戦後は大変な時代だった。うちは両親が農家の出だったから、食べ物に極端に困ったことはなかったんだけど、周りには食うや食わずの家庭もたくさんいた。そういう人たちにおうどんや野菜なんかを差し入れたりして、みんなで助け合って生きていましたね」