「丸ビル将軍」震災後に東京近郊の土地買い占め巨利 近藤荒樹(上)
■近藤荒樹(こんどう・あらき、1889~1986年)の横顔 明治22(1889)年、広島県賀茂郡西志和村(現在の東広島市)の貧しい農家の長男に生まれた。同39年に上京、シベリア単独横断で名高い福島安正大将のもとに住み込み、中学から東京高等商業学校(現一橋大学)へと進む。大正2(1913)年、卒業と同時に三菱合資会社の鉱山部用度課に入る。同9(1920)年に退社、金融業「近藤荒樹営業所」を開いた。金融業の傍ら株式相場を積極的に手掛け、同時に不動産売買にも乗り出す。大正12(1923)年の関東大震災後、東京近郊の土地を買い集め、その規模は約50万坪に上り、昭和初めにはそっくり利食いして巨利を占めた。 第2次大戦後の昭和21(1946)年、近藤商事会社を設立、株を積極的に買い、同32(1957)年度には全国長者番付で6位に躍り出る。同51(1976)年、その資産は数百億円に及んだ。同61(1986)年没。97歳。相場師としては山崎種二や越後正一の90歳をしのぐ異例の長命だった。